【あの日の出来事】過去の7月21日から7月31日【そのとき何してた?】

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過去のこの期間、世の中では何が起きていたのでしょうか?20年前・15年前・10年前・5年前の出来事を振り返ってみます。日々のニュースと照らし合わせて、過去の出来事がどのように現在につながっているのか見えてくるかもしれません。


2006年(平成18年)7月21日~7月31日の出来事

【国際】イスラエル軍によるレバノン「カナ空爆」事件

2006年7月30日未明、レバノン侵攻を継続していたイスラエル軍が、レバノン南部の村カナにある3階建ての一般住宅を空爆しました。この建物には、連日の激しい空爆から逃れるために近隣の家族など数十人の民間人が避難していました。この攻撃により、地下のガレージ等に避難していた子供16人を含む計28人の民間人が死亡し、多数の負傷者が出る事態となりました。

当初、現地からの第一報では50人以上の犠牲者が出たと伝えられ、国際社会に大きな衝撃が広がりました。崩落したがれきの中から犠牲となった子供たちの遺体が次々と運び出される様子がメディアで報じられると、イスラエルに対する国際的な非難が沸騰しました。ベイルートでは怒った群衆が国連の建物を襲撃する騒ぎが発生し、国連安全保障理事会では緊急協議が開かれ、停戦を求める声が一層高まりました。

イスラエル政府およびイスラエル国防軍は、カナ周辺がイスラエル北部へ向けたヒズボラのロケット弾発射拠点になっていたと主張しました。また、事前に住民に対して退去警告を出していたこと、建物内に民間人が多数残留している事実を把握していなかったことを挙げ、意図的な攻撃ではないと釈明しました。しかし、人権団体や国際社会からは、避難経路が破壊されて移動できない民間人が多数存在したことへの配慮を欠いた無差別な攻撃であるとの批判が相次ぎました。

この惨劇を受けて、イスラエルは一時的に48時間の空爆停止を余儀なくされ、足踏み状態となっていた停戦交渉への機運が急速に高まることとなりました。

カナ空爆 – Wikipedia

【国内】ふじみ野市「大井プール」女児吸い込み死亡事故

2006年7月31日午後1時50分頃、埼玉県ふじみ野市立大井プール(市民プール)の流水プールにおいて、小学2年生(当時7歳)の女児が、壁面に設置されていた吸水口の内部パイプに吸い込まれ、死亡する事故が発生しました。この事故は、自治体や管理運営業者による施設の安全管理体制に多くの不備や怠慢があったことが判明し、全国の公営・学校プールにおける安全基準の見直しへとつながる出来事となりました。

事故が発生した流水プールには、水を循環させるための吸水口(縦約80cm、横約140cm)が設けられており、通常はステンレス製の保護柵がボルトで固定されているはずでした。しかし、事件当日はこの保護柵が外れてプール底に沈んでおり、むき出しになった直径約40cmの吸水パイプの強い吸引力によって、泳いでいた女児が全身をパイプ内に巻き込まれる形となりました。通報を受けて救助活動が行われましたが、パイプの奥深くに入り込んでいたため救出までに約6時間を要しました。事故後の検視の結果、死因は吸い込まれて脱出不可能になったことによる窒息死ではなく脳幹損傷で、吸い込まれた際に水路壁に頭を強打し即死したものと判断されました。

その後の警察や行政の調査により、事故が発生する以前からこの保護柵の固定ボルトが脱落していたことや、針金で簡易的に留められているだけだった実態が明らかになりました。また、事故当日にも他の利用客から「柵が外れかかっていて危険だ」という指摘がプールの監視員に寄せられていたにもかかわらず、適切な運行停止や立ち入り禁止の措置が取られていませんでした。市からプールの管理・運営を請け負っていた委託業者における、監視員の教育不足や安全確認の形骸化、さらには行政側の監督不行届といった、施設管理の構造的な問題が厳しく批判されることとなりました。

この事故を受けて、文部科学省と国土交通省は全国の全ての自治体や学校、商業施設に対し、プールに設置されている吸水口や排水口の安全点検を義務付ける緊急指示を出しました。ボルトによる二重固定の徹底や、吸水口への潜り込み防止措置の追加など、全国一律の厳格な安全基準が新たに策定される契機となり、それまで各施設の現場に委ねられていたプール管理のあり方を変える事案となりました。

ふじみ野市立大井プール – Wikipedia

2011年(平成23年)7月21日~7月31日の出来事

【国際】中国浙江省で高速鉄道の追突・脱線事故

2011年7月23日午後8時半頃(現地時間)、中国浙江省温州市の近郊において、北京発福州行きの高速鉄道が、前方に停車していた杭州発福州行きの高速鉄道に追突し、車両が脱線して高架橋から落下する事故が発生しました。この事故により40人以上が死亡し、約200人が負傷する惨事となりました。

事故の直接的な原因は、激しい落雷によって運行管理システムや信号機が故障し、本来であれば自動的に作動するはずのブレーキシステムが機能しなかったこと、および運行指令室の適切な誘導や連絡に不備があったこととされています。中国が国家プロジェクトとして急速に路線網を拡大していた高速鉄道網(中国版新幹線)において、安全対策や運行管理のノウハウが技術の進歩に追いついていなかった実態が露呈する形となりました。

この事故において、被害の規模とともに国際的な注目を集めたのが、事故発生直後における鉄道当局の対応でした。当局は事故の翌日、大型の重機を現場に投入し、高架から転落した大破車両を損壊させた上で、現場に掘った深い穴へ埋め立てる作業を開始しました。この様子がメディアやインターネットを通じてリアルタイムで世界中に拡散されると、「事故原因の究明や安全性の検証を行う前に、証拠隠滅を図ろうとしているのではないか」との激しい批判が国内外から沸き起こりました。犠牲者の捜索が十分に終わっていない段階での拙速な隠蔽工作に対し、中国国内のSNSでも政府への不信感や不満が爆発する事態となりました。

批判の全般的な高まりを受け、中国政府は方針を転換して埋め戻した車両を再び掘り起こして調査を行うことを余儀なくされ、当時の鉄道部高官らを更迭しました。

2011年温州市鉄道衝突脱線事故 – Wikipedia

【国内】地上波アナログ放送が終了、地上デジタルへ完全移行

2011年7月24日正午、岩手・宮城・福島の東日本大震災被災3県を除く全国44都道府県において、1953年の開局以来58年間にわたり日本の情報インフラを支え続けた地上波アナログテレビ放送の番組が終了しました。画面は電波停止を知らせる青色の案内表示へと一斉に切り替わり、同日23時59分には電波そのものが完全に停止(停波)。日本国内のテレビ放送は、地上デジタル放送(地デジ)へと完全移行しました。

このプロジェクトは、限られた電波帯域(周波数)を有効活用し、携帯電話や防災無線などの新たな電波需要に対応すること、およびハイビジョン高画質化やデータ放送などの高度な放送サービスを実現することを目的に、国と放送業界が一体となって長年進めてきた国策でした。移行に伴い、日本中の家庭や宿泊施設、医療機関などでテレビの買い替えや、専用のデジタルチューナー、UHFアンテナの設置が急ピッチで進められました。国は「地デジカ」というキャラクターを用いた広報活動や、総合相談窓口(デジサポ)の開設、低所得者層へのチューナー無料配布などの支援策を展開し、混乱の回避に努めました。

正午の切り替えの瞬間には、各放送局が特別番組やカウントダウンを放送し、長年親しまれたアナログ放送への感謝と時代の節目を告げました。午後12時を過ぎると、画面は「ご覧のアナログ放送の番組は終了しました」という文字とともに、問い合わせ先の電話番号が表示される静止画に移行。テレビの買い替えや対策が間に合わなかった一部の世帯では、画面が映らなくなるなどの影響が出ましたが、事前の周知徹底により大規模なパニックやトラブルは回避されました。

なお、同年3月に東日本大震災で激甚な被害を受けた岩手・宮城・福島の3県については、被災地の復興状況や住民の生活基盤の再建を最優先に考慮し、特例として法改正が行われ、完全移行の日程が8ヶ月延期されました。被災3県におけるアナログ放送の終了は2012年3月31日となり、同日をもって名実ともに日本全国の完全デジタル化が完了しました。

2011年問題 (日本のテレビジョン放送) – Wikipedia

2016年(平成28年)7月21日~7月31日の出来事

【国内】相模原障害者施設殺傷事件(津久井やまゆり園事件)

2016年7月26日未明、神奈川県相模原市緑区にある県立の知的障害者福祉施設「津久井やまゆり園」に元職員の男が侵入し、入所者らを刃物で次々と襲撃する事件が発生しました。この攻撃により、19名が死亡、職員3名を含む26名が重軽傷を負う事態となり、日本の犯罪史上においても極めて多くの犠牲者を出した大量殺傷事件となりました。

犯行に及んだ男は、窓ガラスを割って施設内に侵入し、見張りの職員を拘束した上で、意思疎通の難しい入所者を狙って次々と襲撃しました。事件後、男は自ら警察署に出頭し、逮捕されました。その後の捜査や裁判の過程で、男が「障害者は不幸を作ることしかできない」「障害者は生きていても仕様がない」といった、意思疎通が困難な障害者の存在を否定する優生思想的な主張を繰り返していたことが明らかになりました。

この事件は、特定の属性を持つグループを標的としたヘイトクライムの側面を持ち、日本国内のみならず国際社会にも大きな衝撃を与えました。特に、社会的なケアを必要とする人々が生活する福祉施設という本来最も安全であるべき場所で起きたこと、そして元職員という内部事情を知る人物による計画的な犯行であったことから、社会防衛や施設警備のあり方が厳しく問われることとなりました。さらに、事件後には犠牲者の多くが匿名で報道されたことをめぐり、障害者やその家族が社会に置かれている現状についての議論も巻き起こりました。

公判では男の刑事責任能力の有無が最大の争点となりましたが、横浜地方裁判所は2020年3月、男の完全な責任能力を認め、求刑通り死刑判決を言い渡しました。その後、弁護人が控訴したものの、男本人が控訴を取り下げたため死刑判決が確定しました。

相模原障害者施設殺傷事件 – Wikipedia

【国内】東京都知事選挙で小池百合子氏が初当選。初の女性都知事へ

2016年7月31日、前知事の辞任に伴う東京都知事選挙の投開票が行われ、元防衛大臣の小池百合子氏が290万票を超える得票を集めて初当選を果たしました。これにより、1947年に都知事の公選制が導入されて以来、史上初となる「女性都知事」が誕生しました。

この選挙戦において、小池氏は所属する自民党からの推薦や公認を得られないまま、自ら「崖から飛び降りる覚悟」と表現して無所属での出馬を強行しました。自民党・公明党の与党勢力が増田寛也氏(元岩手県知事)を推薦し、野党統一候補としてジャーナリストの鳥越俊太郎氏が立つという、事実上の三つどもえの構図のなか、小池氏は政党の組織力に頼らない独自の戦術を展開しました。「都政の透明化」や「都民第一の政治」を訴え、当時の自民党東京都連の幹部や都議会の一部有力議員を「ブラックボックス」などと批判する姿勢は、既得権益との対決を印象付ける劇場型の選挙戦となり、無党派層や女性層を中心とした広範な有権者の支持を集める結果となりました。

小池氏の勝利は、単に一首長が交代したという枠にとどまらず、その後の都政や国政の力学を大きく変える契機となりました。就任直後から小池都知事は、築地市場から豊洲市場への移転延期問題の表明や、2020年東京オリンピック・パラリンピックの会場見直しおよび開催経費の精査といった重要課題に次々と着手し、メディアの注目を集め続けました。

さらに、この選挙での勢いは、翌2017年の東京都議会議員選挙に向けた地域政党「都民ファーストの会」の立ち上げと、同党の第一党への躍進へと直結していきました。

2016年東京都知事選挙 – Wikipedia

2021年(令和3年)7月21日~7月31日の出来事

【国内】五輪開閉会式演出担当・小林賢太郎氏の解任と東京五輪開幕

2021年7月22日午前、東京オリンピックの開会式を翌日に控えた段階で、大会組織委員会は開閉会式のショーの演出を統括するディレクターを務めていた小林賢太郎氏(元お笑いコンビ・ラーメンズ)を解任したと発表しました。前週に起きた作曲担当の小山田圭吾氏の辞任劇に続く演出チームのトップ解任は、開幕直前の大会運営を大きく揺るがす事態となりました。

解任の理由となったのは、小林氏が1998年に発売されたお笑いビデオのコント内で、ユダヤ人大量虐殺(ホロコースト)を揶揄する「ホロコーストごっこ」という表現を用いていたことでした。この過去の動画がインターネット上で拡散され、米国のユダヤ人系人権団体「サイモン・ウィーゼンタール・センター」が即座に非難声明を出すなど国際的な批判へと発展。組織委員会は国内外からの批判を受け、翌日に迫った本番を前に電撃的な解任処分を決定しました。これにより、開会式は急遽、小林氏が手掛けた演出部分を精査・変更する対応に追われ、組織のガバナンス(組織統治)や人選プロセスの不備が改めて浮き彫りとなりました。

小林氏の解任劇から一夜明けた2021年7月23日午後8時、東京・新宿の国立競技場において、新型コロナウイルスの世界的な感染拡大(パンデミック)による1年の延期を経て、第32回オリンピック競技大会(東京2020オリンピック)の開会式が挙行されました。

この開会式は、120年を超える近代オリンピックの歴史においても極めて異例なものとなりました。東京都に緊急事態宣言が発令されている最中での開催となったため、約6万8000人を収容するメインスタジアムに一般観客の姿はなく、大会関係者や報道陣などわずか約950人のみが見守る「無観客」の状態で進行しました。演出では、コロナ禍による世界的な分断や孤独からの再生、医療従事者への感謝がテーマとして表現されました。

選手団の入場行進では、各国の選手がマスクを着用して距離を保ちながらピッチを進み、聖火リレーの最終点火者はテニスの大坂なおみ選手が務めました。数々の不祥事や世論の賛否、そして感染症の脅威に揺れ続けた異例の祭典は、静寂に包まれたスタジアムの中で17日間にわたる戦いの幕を開けました。

2020年東京オリンピックの開会式 – Wikipedia

【国内・海外】日本の世界遺産が相次ぎ誕生

2021年7月26日および27日、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産委員会において、日本から推薦されていた自然遺産候補と文化遺産候補が相次いで世界遺産への登録を正式に承認されました。26日には鹿児島県と沖縄県にまたがる亜熱帯の森林群が、翌27日には北海道と北東北に点在する縄文時代の遺構群がそれぞれ登録され、これにより当時の日本の世界遺産は計25件(文化遺産20件、自然遺産5件)になりました。

奄美大島、徳之島、沖縄島北部及び西表島(7月26日登録)

鹿児島県南部の奄美大島・徳之島、沖縄県本島北部のやんばる地域、および西表島の4地域に広がる、合計約4万3,000ヘクタールの亜熱帯森林からなる世界自然遺産です。

この地域は、過去の地球の歴史において大陸からの隔離と島々への分裂を繰り返した地史的な背景を持っています。この分断された島々という環境が、独自の進化を促す要因となりました。その結果、陸地面積としては日本の国土の1%未満であるにもかかわらず、多くの固有種や絶滅危惧種が集中して生き残る「生物多様性」の重要拠点として、その国際的な価値が認められました。

ここには、世界中で奄美大島と徳之島にしか生息していない原始的なウサギであるアマミノクロウサギや、沖縄島北部の「やんばるの森」に生息する日本で唯一の飛べない鳥ヤンバルクイナ、そして西表島のみに生息する体重3〜5kgほどの野生ネコであるイリオモテヤマネコなど、希少な動植物が数多く生息しています。

北海道・北東北の縄文遺跡群(7月27日登録)

構成資産には、縄文時代中期(約5500〜4000年前)の大規模な集落跡で、大型の掘立柱建物や竪穴建物跡が確認されている三内丸山遺跡(青森県)や、縄文時代後期(約4000年前)に造られ、祭祀や墓地としての機能を持っていたと考えられている大湯環状列石(秋田県)、さらには周囲に巨大な土手を巡らせた集団墓地であるキウス周堤墓群(北海道)など、北海道、青森県、岩手県、秋田県の4道県に点在する、縄文時代の集落跡や環状列石(ストーンサークル)など17の遺跡で構成される世界文化遺産です。

世界の先史文化の多くは、農耕社会の発展とともに定住を拡大していきましたが、この遺跡群は「採集・狩猟・漁労」という自然の恵みを受け入れる生活様式を基盤としながら、1万年以上にわたって持続可能な定住生活を維持した点が極めて特異と評価されました。自然を畏敬する豊かな精神文化や、気候の変化に応じて適応していった集落の発展プロセスを示す貴重な物証となっています。

奄美大島、徳之島、沖縄島北部及び西表島 – Wikipedia
北海道・北東北の縄文遺跡群 – Wikipedia

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