過去のこの期間、世の中では何が起きていたのでしょうか?20年前・15年前・10年前・5年前の出来事を振り返ってみます。日々のニュースと照らし合わせて、過去の出来事がどのように現在につながっているのか見えてくるかもしれません。
2006年(平成18年)7月11日~7月20日の出来事
【国際】第2次レバノン戦争が勃発。
2006年7月12日、中東情勢を揺るがす「第2次レバノン戦争(レバノン侵攻)」が勃発しました。レバノンを拠点とする親イラン派のシーア派武装組織「ヒズボラ」が、イスラエルとの国境地帯で軍の車両を襲撃し、イスラエル軍兵士2名を拘束(拉致)、3名を殺害したことが直接の引き金となりました。
これに対し、イスラエル政府は「宣戦布告なき戦争行為である」と猛烈に反発。自衛の枠を超え、同日中にレバノン南部への大規模な空爆を開始し、地上部隊も段階的に突入させる全面的な軍事侵攻へと踏み切りました。
イスラエル軍の作戦目的は、拘束された兵士の奪還と、国境付近からイスラエル北部へロケット弾を撃ち込み続けるヒズボラの軍事能力を壊滅させることにありました。しかし、戦闘はイスラエル側の予想を遥かに超えて泥沼化します。
イスラエル軍はハイテク兵器や圧倒的な航空戦力でレバノンのインフラ(ベイルート国際空港や主要道路、橋など)を徹底的に破壊しました。これに対し、ゲリラ戦の訓練を積んだヒズボラは、網の目のように張り巡らせた地下トンネルや対戦車ミサイルを駆使して頑強に抵抗。さらに、期間中に約4,000発ものロケット弾をイスラエル北部の都市へ向けて執拗に発射し続けました。
約1ヶ月半にわたる激しい戦闘による犠牲者は、レバノン側で民間人を中心に1,000人以上、イスラエル側でも兵士を中心に160人以上にのぼり、国境周辺は凄惨な戦火に包まれることとなりました。
中東全体の安定が脅かされ、原油の供給ルートが滞るとの危機感(地政学リスク)から、ニューヨーク原油市場では原油先物価格が急騰。7月14日には、当時としての史上最高値となる「1バレル=78.40ドル」を突破しました。このエネルギー価格の高騰は、世界的なインフレ懸念を呼び起こし、国際金融市場を震撼させる大きな要因となりました。
戦闘は同年8月14日、国連安全保障理事会で採択された「決議1701」に基づく停戦合意によって一応の終結を迎えました。イスラエル軍は撤退し、レバノン南部には国連レバノン暫定駐留軍(UNIFIL)が展開することとなりました。 しかし、ヒズボラは壊滅するどころか、その後もイランからの潤沢な軍事支援を受けて武装を大幅に強化。この2006年の激突は、国家(イスラエル)と非国家主体(ヒズボラ)による現代型非対称戦争の典型例となり、現在に至るまで何度も繰り返される中東緊迫化の根深い火種として、今なお国際政治に暗い影を落とし続けています。

【国内】「富田メモ」報道。昭和天皇がA級戦犯の靖国合祀に不快感
2006年7月20日、日本経済新聞の朝刊一面に掲載された衝撃的な大スクープが、日本の政治界や言論界、そして社会全体を激しく揺るがしました。元宮内庁長官の富田朝彦氏が遺した手帳やノート、通称「富田メモ」の存在と、そこに記されていた昭和天皇の発言内容が初めて公になったのです。そこには、昭和天皇が1978年に靖国神社が極東国際軍事裁判(東京裁判)のA級戦犯14名を秘密裏に合祀したことに対して強い不快感を示し、それが原因でそれ以降の靖国神社への親拝(参拝)を取りやめていたとする明確な意思が書き残されていました。
この報道がなされた2006年という時期は、当時の小泉純一郎首相が毎年のように靖国神社への参拝を強行し、中国や韓国といった近隣諸国との外交関係が戦後最悪と言われるほど冷え込んでいた政治状況の真っ只中でした。それまで保守派を中心に主張されていた「昭和天皇の参拝中止は筑波藤麿宮司の退任やその他の事情によるもの」という言説を根底から覆す一次史料の出現は、日本国内の歴史認識や靖国参拝の是非をめぐる議論に決定的な一石を投じることとなりました。
メモの中で昭和天皇は、合祀を断行した当時の松平永芳宮司の判断に対して強い言葉で不満を漏らしており、そのために自分はそれ以来参拝していないという趣旨の、極めて肉声に近い言葉が富田長官によって記録されていました。昭和天皇の最後の靖国参拝は1975年11月であり、合祀が行われた1978年を境に、崩御に至るまで二度と足を運ばなかった理由に有力な説明を与える史料となりました。
その後、有識者らによる詳細な研究や検証委員会によってメモの真実性や史料としての価値が認められ、昭和天皇に続く今上天皇(当時の明仁天皇、現在の徳仁天皇)も靖国神社への親拝を行っていない状況の背景を補完する最重要の記録として扱われるようになりました。この事件は、国のために殉じた英霊を追悼する施設としての靖国神社のあり方や、政教分離、A級戦犯の「分祀」の是非といった今日まで続く重い論争をより深化させる、昭和・平成の精神史における超弩級の出来事となりました。
2011年(平成23年)7月11日~7月20日の出来事
【国内・国際】「なでしこジャパン」、FIFA女子ワールドカップで初優勝
2011年7月17日夜(日本時間18日未明)、ドイツ・フランクフルトで行われた「FIFA女子ワールドカップ(W杯)」の決勝戦において、サッカー日本女子代表(なでしこジャパン)が世界ランキング1位の絶対王者アメリカ代表を破り初優勝を果たしました。日本のサッカー界において男女を通じて初、そしてアジア勢としても史上初となるW杯制覇という、まさに日本スポーツ史に燦然と輝く偉業が達成された瞬間でした。
世界最強のアメリカを相手に、試合は終始劣勢を強いられる展開となりました。アメリカの圧倒的なフィジカルと攻撃力の前に、日本は二度にわたってリードを許す苦しい展開となります。後半24分に先制点を奪われた日本ですが、後半36分に宮間あや選手が執念の同点ゴールを決めて1対1で延長戦へ。延長前半14分に再びアメリカに勝ち越され、万事休すかと思われた延長後半の残りわずか3分、キャプテンの澤穂希選手がコーナーキックから右足のアウトサイドで合わせる奇跡的な同点ボレーシュートを叩き込み、2対2でPK戦へと持ち込みました。迎えたPK戦では、ゴールキーパーの海堀あゆみ選手が相手のキックを2本止める好セーブを連発し、最後は熊谷紗希選手がゴール左上に豪快に決めて3対1で激闘に終止符を打ちました。
この快挙が日本社会に与えたインパクトは、単なるスポーツの勝利という枠を遥かに超えたものでした。同年3月11日に発生した東日本大震災からわずか4ヶ月しか経っておらず、日本中が深刻な物資不足や原発事故の不安、そして深い悲しみと喪失感に包まれていた時期でした。佐々木則夫監督が試合前のミーティングで被災地の惨状を映す写真を選手たちに見せ、「被災地のために戦おう」とピッチへ送り出していたエピソードは有名です。体格で勝る相手に何度も突き放されながらも、最後には世界一の座を掴み取った彼女たちの姿は、震災で打ちひしがれていた多くの日本国民の心に「あきらめない心」の大切さを強く訴えかけ、日本全体を照らす絶大な勇気と希望となりました。
大会後、この偉業と社会への多大な貢献を称え、日本政府はなでしこジャパンに対してチームとしては史上初となる「国民栄誉賞」の授与を決定しました。澤穂希選手は大会最優秀選手(ゴールデンボール)と得点王(ゴールデンブーツ)をダブル受賞し、同年の年間最優秀選手(バロンドール)にも輝くなど、名実ともに世界のトップへと登り詰めました。この大会を境に、それまで男子に比べて厳しい環境に置かれていた日本の女子サッカーを取り巻く環境は改善し、多くの少女たちがプロサッカー選手を目指すきっかけを作るなど、日本のスポーツ文化そのものを大きく塗り替える歴史的な社会現象となりました。

【国内】政府、福島県産牛の「全頭出荷制限」を指示
2011年7月19日、政府の原子力災害対策本部は、福島第一原子力発電所事故に伴う放射性物質の拡散を受け、原子力災害対策特別措置法に基づき福島県内で飼育される肉用牛を対象とした「全頭出荷制限」を指示しました。これにより、福島県内のすべての肉用牛は市場への出荷や移動が一時的に一切禁止されることとなり、東日本大震災の発生から4ヶ月が経過した段階で、原発事故の被害が農業や畜産業の根幹を揺るがす事態へ突入したことを示す出来事となりました。
この措置が取られる引き金となったのは、福島県内外の畜産農家が牛に与えていた飼料用の「稲わら」から、国の暫定規制値を遥かに超える高濃度の放射性セシウムが相次いで検出されたことでした。原発事故の直後、屋外に放置されていた稲わらが放射性物質を浴びて汚染され、それを食べた牛の肉から基準値超えのセシウムが検出される事例が日本各地の市場で発覚し、食の安全に対する国民の不安が急速に拡大していました。事態の深刻化と流通の混乱を防ぐため、政府は福島県産の牛すべてを一律でストップさせるという極めて強硬な法的手段へと踏み切らざるを得なくなりました。
この全頭出荷制限による影響は、手塩にかけて牛を育ててきた畜産農家に対して壊滅的な経済的打撃を与えました。出荷の目処が立たないまま肥育を続けなければならない農家は、毎日の飼料代の負担や牛舎の過密化に頭を抱え、さらに「福島県産」というだけで敬遠される激しい風評被害にも直面しました。さらに、影響は福島県内にとどまらず、のちに宮城県、岩手県、栃木県など近隣の県へも出荷制限が拡大したことで、日本全国の食肉流通網や牛肉の価格相場、飲食店でのメニュー提供にいたるまで、日本の「食」の信頼性を揺るがす深刻な社会問題へと発展しました。
その後、すべての牛を対象にした全頭検査体制の構築や、汚染されていないクリーンな飼料の確保といった徹底的な安全対策が自治体や農家の血の滲むような努力によって進められ、安全性が確認された農家から段階的に出荷制限は解除されていきました。しかし、この2011年7月の決定は、放射性物質による汚染の連鎖が目に見えない形で食物連鎖に入り込んでいた恐怖を社会に植え付け、日本の農林水産業における放射能対策と検査体制のあり方を再構築させる重い契機となりました。
2016年(平成28年)7月11日~7月20日の出来事
【国内】天皇陛下(現・上皇さま)、「生前退位」の意向が報道される
2016年7月13日午後7時、NHKが夜のニュース番組のトップで報じた一本の特報が、日本中に激震走らせました。「天皇陛下が、高齢に伴い公務を全うすることが難しくなる前に、生きているうちに皇位を皇太子さまに譲る『生前退位(譲位)』の意向を宮内庁の関係者に示されている」という極めて衝撃的な内容でした。明治以降の近代皇室において、天皇の崩御を伴わない退位は一度も例がなく、皇室のあり方を定めた「皇室典範」にも生前退位に関する規定が存在しなかったため、この第一報は戦後皇室史における最大の衝撃として受け止められました。
報道の直後、宮内庁の山本信一郎次長(当時)が緊急の記者会見を開き、「報道されたような事実は一切ない」と報道内容を否定する異例の事態となりました。しかし、この全面否定は国体の根幹に関わる重大事への手続き上の配慮や慎重な姿勢の現れであり、水面下ではすでに陛下のご高齢に伴う象徴天皇としての務めについて、皇室内部や政府内での深刻な検討が進められていたことがのちに明らかになります。昭和天皇の崩御に伴う激動の改元を経験していた日本国民にとって、現職の天皇が自らの意志で退位を望まれているというニュースは、まさに憲法上の「象徴」としての役割を問い直す超弩級の出来事でした。
この7月13日の第一報を契機に、これまでタブー視されがちだった皇室制度の改革や「譲位」に関する議論が一気に国民的なレベルで表面化することとなりました。政府も即座に対応を迫られ、特例法の制定に向けた有識者会議の設置など、憲法や法体系との整合性を取るための極めて緻密な政治的調整がスタートしました。そしてこの流れは、翌月8月8日に天皇陛下ご自身がテレビを通じて国民に直接語りかけた「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば」のビデオメッセージへと直結し、誰もが陛下の真意とご体調の現実に耳を傾けることとなります。
この歴史的な報道は、最終的に2017年の「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」の成立へと結実し、2019年4月30日の退位礼正殿の儀を迎えることになります。平成から令和へと、約200年ぶりとなる天皇の存命中における穏やかな皇位継承と改元が行われたことで、日本社会は混乱なく新たな時代を迎えることができました。その意味で、2016年7月13日のニュースは、日本の伝統と近代国家の仕組みが新たな調和を見出すための、歴史的な転換点となった最初の一歩でした。

【国内・国際】「国立西洋美術館」の世界文化遺産登録が決定
2016年7月17日、トルコのイスタンブールで開催されていた国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産委員会において、東京・上野公園に所在する「国立西洋美術館本館」を含む『ル・コルビュジエの建築作品-近代建築運動への顕著な貢献-』を世界文化遺産に登録することが正式に決定されました。日本国内では20件目の世界遺産であり、東京都内としては初となる待望の「世界文化遺産」(2011年登録の小笠原諸島は自然遺産)の誕生に、上野周辺をはじめ日本中は大きな祝祭ムードに包まれました。
今回の登録は、20世紀の近代建築運動に多大な影響を与え、機能主義や合理性を追求したフランスの巨匠建築家ル・コルビュジエが手掛けた建築群を評価したもので、フランス、日本、ドイツ、スイス、ベルギー、アルゼンチン、インドの7カ国に点在する計17の資産で構成される、国境を越えた異例の共同登録となりました。その中で唯一のアジア圏の資産となったのが、1959年に竣工した国立西洋美術館の本館です。戦後の日仏間の国交回復と親善のシンボルとして、実業家・松方幸次郎の「松方コレクション」を保管・公開するために建てられたこの美術館は、ル・コルビュジエが提唱した「無限発展美術館」という、展示物の増加に伴って外側へ向かって螺旋状に建物を拡張できるという革新的な設計思想が忠実に具現化された傑作として認められました。
この快挙に至るまでの道のりは決して平坦ではなく、過去に2度にわたって「登録延期」などの厳しい勧告を受けており、3度目の挑戦でようやく掴み取った悲願の登録でした。決定直後の上野周辺では、商店街や百貨店に祝賀の垂れ幕や横断幕が掲げられ、お祝いのセールや記念の催しが次々と企画されるなど、街全体が歓喜に沸き立ちました。この世界遺産登録を機に、アートや建築の街としての上野の文化的価値は国際的に広く認知されるようになり、国内外からさらに多くの観光客や建築ファンが足を運ぶ、東京を代表する一大文化的拠点としての地位を不動のものとしました。

2021年(令和3年)7月11日~7月20日の出来事
【国際】民間宇宙旅行ビジネス。ブランソン氏とベゾス氏、相次ぎ宇宙へ
2021年7月、人類の宇宙開発史における巨大なパラダイムシフトとなる、二つの歴史的な民間有人宇宙飛行が立て続けに成功を収めました。国家のプロジェクトではなく、巨大資本を持つ民間企業が主導し、その創業者自らが宇宙へと旅立つという、本格的な「宇宙旅行ビジネス」の本格化を象徴する出来事となりました。
先陣を切ったのは、2021年7月11日(現地時間)、イギリスの著名な起業家リチャード・ブランソン氏率いるヴァージン・ギャラクティック社でした。創業者のブランソン氏を含む6人を乗せた宇宙船「スペースシップツー(VSSユニティ)」は、米ニューメキシコ州の宇宙港から母機に吊り下げられて離陸。上空で切り離された後にロケットエンジンを点火し、アメリカの国家規格で宇宙空間とみなされる高度約86km(約28万2000フィート)に到達しました。乗客たちは数分間の微小重力(無重力)状態を体験し、窓の外に広がる青い地球の輪郭を堪能した後、滑走路へ見事に着陸。民間企業による商業宇宙飛行の実現可能性を世界に証明しました。
そのわずか9日後の7月20日(現地時間)、今度は米Amazonの創業者であるジェフ・ベゾス氏が率いる宇宙開発企業、ブルー・オリジン社が応酬します。ベゾス氏やその実弟、さらに82歳の女性飛行士ウォリー・ファンクら4名を乗せた宇宙船「ニューシェパード」は、テキサス州の施設から垂直に打ち上げられました。この飛行では、国際航空連盟(FAI)が地球の大気圏と宇宙空間の境界線として定義する世界基準、高度100kmの「カルマン・ライン」を突破する高度約107kmに到達。カプセルはパラシュートで無事に砂漠へと帰還し、ベゾス氏は「人生最高の日だ」と歓喜の声をあげました。
この2社の連続した成功は、富裕層向けの超高額なエンターテインメントとしての「民間宇宙旅行」が完全に現実のものとなったことを世界に知らしめました。同時期にイーロン・マスク氏率いるスペースX社も地球周回軌道への民間人派遣を進めており、民間宇宙開発競争は「3大ビリオネア(億万長者)」による三つ巴の戦いとして新たな次元へ突入。宇宙が選ばれた宇宙飛行士だけのものではなく、誰もが行くことのできる「旅先」へと変わり始める、歴史的なパラダイムシフトの瞬間でした。

【国内】東京五輪開会式作曲担当・小山田圭吾氏の過去の「いじめ告白」が再燃、大炎上へ
2021年7月16日、東京オリンピックの開幕をわずか1週間後に控えるなか、大会の開会式で楽曲制作を担当することが発表されていたミュージシャンの小山田圭吾氏をめぐり、過去の凄惨な「いじめ告白」がネットメディアやSNSを中心に急速に再燃、大炎上へと発展しました。この問題はまたたく間に国内外の一般メディアや海外通信社にも飛び火し、直前に迫った東京五輪の準備を最大級の混乱に陥れる深刻なスキャンダルとなりました。
批判の対象となったのは、1990年代半ばに発行されたサブカルチャー雑誌『ロッキング・オン・ジャパン』や『Quick Japan』のインタビュー記事でした。そこには、小山田氏が学生時代、学校に通っていた障害を持つ同級生に対し、全裸にして縛り上げる、排泄を強要するなどの極めて残虐で非人道的な暴行・いじめを行っていた事実が、悪びれる様子もなく自慢げな口調で語られていました。多様性と調和(ダイバーシティ&インクルージョン)を掲げるオリンピック・パラリンピックという平和の祭典において、その象徴たる開会式の演出にこのような過去を持つ人物が関わっていることに対し、世論や障害者団体、海外メディアから「人選として絶対にあり得ない」と猛烈な批難の声が一斉に沸き上がりました。
小山田氏は同日夕方に謝罪文を公表し、大会組織委員会も当初は「現在は高い倫理観をもって創作活動に献身している。開会式直前でもあるため、貢献を考慮して引き続き業務を全うしてもらいたい」として留任させる方針を打ち出しました。しかし、この組織委員会の身内に甘い「続投方針」が火に油を注ぐ結果となり、批判はさらに激化。国会や政府関係者、スポンサー企業からも懸念の声が相次ぎ、国際オリンピック委員会(IOC)をも巻き込む国際的な問題へと発展したため、組織委員会は方針を一転せざるを得なくなりました。
炎上発覚からわずか3日後となる7月19日、小山田氏が組織委員会に辞任を申し出、受理されました。開会式のわずか4日前という最悪のタイミングでの辞任劇により、彼が担当したオープニング部分の約4分間を別の楽曲へ差し替える対応に追われ、制作現場は大混乱を極めました。この事件は、1年の延期や無観客決定などでただでさえ揺れていた東京五輪のブランドイメージに致命的な泥を塗るとともに、過去のメディアにおける不適切な表現のあり方や、ネット社会における過去の発言の倫理的責任をどう問うべきかという、現代のコンプライアンスの厳しさを象徴する歴史的な大炎上劇となりました。

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