過去のこの期間、世の中では何が起きていたのでしょうか?20年前・15年前・10年前・5年前の出来事を振り返ってみます。日々のニュースと照らし合わせることで、過去の出来事が現在にどのようにつながっているのかを振り返ります。
2006年(平成18年)8月11日~8月20日の出来事
【国内】首都圏大停電(クレーン船の送電線接触事故)
2006年8月14日午前7時38分頃、東京都江戸川区と千葉県浦安市の境を流れる旧江戸川で、河川を航行中だった作業用クレーン船のアーム(ブーム)が、上空を横断する東京電力の275キロボルト江東線に接触・損傷する事故が発生しました。この事故により、東京都区部や神奈川県、千葉県の一部などを含む約139万戸で大規模な停電が発生しました。
原因となったのは、浚渫(しゅんせつ)工事に向かっていた作業船が、アームを十分に下げないまま航行し、河川上空の送電線に接触したことでした。送電線の2回線が損傷したため保護装置が作動し、各変電所への電力供給が遮断されました。
停電は出勤時間帯を直撃し、交通機関や道路網にも影響しました。東京メトロや都営地下鉄などの鉄道が運転を見合わせたほか、ゆりかもめではレインボーブリッジ上で車両が停止し、乗客が軌道上を歩いて避難する事態となりました。約550か所の信号機が消灯し、警察官による手信号で交通整理が行われたほか、エレベーターへの閉じ込めも発生しました。東京ディズニーリゾートでも開園時間に影響が出ました。
電力は約1時間後から順次復旧し、発生から約3時間半後には大部分で停電が解消されました。この事故では、送電設備の冗長性や重要インフラの安全管理が課題として認識され、その後、河川上の送電線に対する注意喚起や船舶の航行に関する安全対策が進められました。

【国内】早稲田実業と駒大苫小牧による「決勝引き分け再試合」
2006年8月20日、阪神甲子園球場で開催された第88回全国高等学校野球選手権大会の決勝戦で、西東京代表の早稲田実業と南北海道代表の駒大苫小牧が対戦しました。早稲田実業の斎藤佑樹投手と駒大苫小牧の田中将大投手が先発し、試合は投手戦となりました。延長15回を終えて1-1の同点だったため決着がつかず、夏の甲子園の決勝戦では1969年の松山商業対三沢高校以来、37年ぶりとなる引き分け再試合となりました。
斎藤投手はマウンド上で青いハンカチで汗を拭う姿から「ハンカチ王子」の愛称で呼ばれるようになりました。駒大苫小牧は前年まで夏の大会で2連覇しており、史上初の夏3連覇がかかっていました。田中投手もチームのエースとして投球を続けました。
翌8月21日に行われた再試合では、早稲田実業が4-3で勝利しました。9回裏には2死から駒大苫小牧が追い上げ、最後は田中投手が打席に入りましたが、斎藤投手が空振り三振に抑えました。早稲田実業は夏の甲子園で初優勝を果たしました。

2011年(平成23年)8月11日~8月20日の出来事
【国内】天竜川川下り船転覆事故
2011年8月17日午後2時30分頃、静岡県浜松市天竜区の天竜川で、観光川下り「遠州天竜舟下り」の第十一天竜丸が航行中に転覆する事故が発生しました。船には乗客21人と船頭2人の計23人が乗っていましたが、乗客4人と船頭1人の計5人が死亡しました。
事故現場は「時神の渦」と呼ばれる急流域で、船は流れの影響を受けて左岸の岩場に乗り上げ、その後転覆しました。乗員・乗客は川に投げ出され、下流で救助活動が行われました。
事故後の調査では、安全管理や運航体制が問題となりました。台風の影響による水量の変化があったにもかかわらず危険箇所に関する情報共有が十分でなかったことや、救命胴衣の着用方法などが問題として指摘されました。また、事故現場付近での操船についても安全上の課題が検討されました。
「遠州天竜舟下り」は事故後も運航を続けましたが、2012年に事業を終了しました。事故を受け、国土交通省は川下り事業者などに対して救命胴衣の着用や安全管理の徹底を指導し、その後も小型旅客船などの安全対策が進められました。

【国際】ニューヨーク市場で円相場が「1ドル=75円台」を記録
2011年8月19日、海外外国為替市場において円相場が急伸し、一時1ドル=75円95銭付近を記録しました。これにより、同年3月17日の東日本大震災直後に記録していた1ドル=76円25銭を上回り、戦後の変動相場制移行後の最高値を更新しました。
背景には、欧州債務危機や米国の景気減速への懸念などによる世界経済の先行き不透明感がありました。さらに8月5日には、米格付け会社S&Pが米国の長期国債格付けを引き下げました。世界の金融市場でリスク回避の動きが強まり、安全通貨とみなされていた日本円に買いが集まりました。
円高は輸出企業の採算悪化や企業業績への影響が懸念され、日本政府と日本銀行は単独為替介入や金融緩和などの対応を進めました。しかし、その後も円高傾向は続き、同年10月31日には1ドル=75円32銭まで上昇して当時の最高値をさらに更新することとなりました。
2016年(平成28年)8月11日~8月20日の出来事
【国内】第1回「山の日」
2016年8月11日、2014年の祝日法改正によって新設された国民の祝日「山の日」が初めて施行されました。国民の祝日が増加するのは1998年の「海の日」以来18年ぶりで、8月に国民の祝日が設けられるのも初めてでした。
「山の日」は、祝日法で「山に親しむ機会を得て、山の恵みに感謝する」ことを趣旨として制定されました。山岳文化や自然環境への関心を高めることを目的として、日本山岳会などの関係団体が長年にわたり制定を求める活動を行ってきました。
日付の「8月11日」については、山の形に見える「八」や、木々が並ぶ姿を「11」に見立てる説明があります。ただし、こうした由来は日付を決める際に紹介された説明の一つです。
施行初日の8月11日には、長野県松本市の上高地を主会場として第1回「山の日」全国大会が開催され、皇太子ご夫妻(当時)らが出席しました。全国各地でも山に関するイベントなどが行われました。
「山の日」の制定によって、お盆休みと組み合わせた休暇を取りやすくなったほか、登山やアウトドアなどへの関心を高める機会にもなりました。

【国内】SMAPが2016年12月31日をもって解散すると正式発表
2016年8月13日深夜、ジャニーズ事務所(当時)はファクスを通じ、国民的アイドルグループ「SMAP」が同年12月31日をもって解散することを正式に発表しました。同年1月にはグループの分裂・解散をめぐる騒動が表面化し、メンバー5人が生放送番組に出演して謝罪しました。
SMAPは1988年に結成され、1991年にCDデビューしました。バラエティ番組やドラマ、映画などで活動し、『世界に一つだけの花』などのヒット曲を送り出しました。2016年には、グループを長年支えた女性マネージャーの退社を巡る問題をきっかけに、事務所との関係やグループの今後をめぐる騒動が続いていました。
解散発表では、メンバーとの協議を重ねた結果、音楽番組への出演やコンサートの開催など、グループ活動の継続が難しいと判断したことが説明されました。発表後はCDの購買運動なども起こり、年末の紅白歌合戦への出演や『SMAP×SMAP』の最終回など、解散までの動向が注目されました。
SMAPは2016年12月31日をもって解散しました。1980年代末から2010年代まで活動したSMAPの解散は、平成の日本のポップカルチャーを振り返るうえで一つの区切りとなりました。
2021年(令和3年)8月11日~8月20日の出来事
【国際】アフガニスタンでタリバンがカブールを掌握
2021年8月15日、米軍の撤退が進んでいたアフガニスタンで、反政府勢力タリバンが首都カブールに進入し、政権を掌握しました。アシュラフ・ガニ大統領が国外へ脱出したことで、アフガニスタン政府は事実上崩壊しました。2001年から続いた米軍のアフガニスタン駐留は終結に向かい、同国の政治体制も大きく変化しました。
背景には、米国が2021年5月から進めていたアフガニスタンからの軍撤退がありました。撤退が進む中、タリバンは各地を急速に制圧し、8月15日に首都カブールへ入りました。米国の支援を受けていたアフガニスタン政府軍は各地で戦闘を続けていましたが、政府の統治機能が低下する中で急速に崩壊しました。
政権崩壊後、カブール国際空港には国外へ避難しようとする市民や外国人が集まりました。空港では混乱が続き、米軍機に人々がしがみつく映像などが世界に報じられました。日本を含む各国も、自国民や関係者を退避させるため航空機を派遣しました。
タリバンの復権を受け、米国の約20年にわたるアフガニスタン政策や、長期的な軍事介入の成果と限界をめぐる議論が広がりました。その後のアフガニスタンでは、女性の教育や就労などをめぐる制限が強化され、経済や人道状況も課題となっています。

【国内】お笑いコンビ「雨上がり決死隊」が解散
2021年8月17日、蛍原徹さんと宮迫博之さんによるお笑いコンビ「雨上がり決死隊」が解散したことを発表しました。同日夜、ABEMAと吉本興業の公式YouTubeチャンネルで配信された番組『アメトーーク!特別編 雨上がり決死隊解散報告会』に2人が出演し、約32年間にわたるコンビ活動を終える経緯を説明しました。
2人は1989年にコンビを結成し、ナインティナインらとともに「吉本印天然素材」のメンバーとして活動しました。その後、『雨上がり決死隊のトーク番組 アメトーーク!』などのバラエティ番組で活動し、長年にわたって人気を集めました。
2019年に発覚した反社会的勢力との会合をめぐる問題を受け、宮迫さんは吉本興業との契約を解消され、活動を休止しました。その後、宮迫さんはYouTubeでの活動を始め、蛍原さんとは異なる形で活動するようになりました。
解散報告会で蛍原さんは、YouTubeでの活動をめぐるすれ違いや、今後の活動に対する考え方の違いなどを挙げ、コンビを続けることが難しくなった経緯を説明しました。2人はそれぞれの活動を続けることになりました。
テレビ番組ではなくインターネット配信を通じてコンビ解散を報告したことは、テレビとネット動画の双方が芸能活動の場となっていた当時の状況を示す出来事の一つとなりました。
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