地下が半世紀以上燃え続ける町:セントラリア

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ペンシルベニア州コロンビア郡のセントラリア(Centralia)は、かつて人口約1,000人を抱えた石炭の街でしたが、1962年に始まった地下炭層火災の影響で住民が次々と移転し、2020年国勢調査ではわずか5人が残る最小規模の自治体になっています。


石炭とともに栄えた町(1840s〜1950s)

町の成立と繁栄

この地域への入植は19世紀前半に始まり、鉱山と鉄道の整備で成長。1866年に法人化され、1890年にはピーク時の人口約2,700人を数え、教会や宿、商店が並ぶ典型的な採炭町になりました。

鉱業の性質

セントラリア周辺は無煙炭(anthracite)が豊富で、地域経済の基盤でしたが、戦間期や大恐慌で需要が落ち、鉱山閉鎖や地下坑道の放棄が進行していました。こうした放棄坑や盗掘が、後の火災被害の広がりを助長したと指摘されています。


火災の発生と危険の顕在化(1962年〜1981年)

ゴミ焼却が発端

1962年5月、町の埋立地清掃のためにゴミ焼却が行われ、消しきれなかった火が封鎖されていない穴や廃坑を通じて地下に入り込み、古い炭層に燃え移ったことが主要な原因として広く受け止められています(他説もあり完全に特定はされていません)。

危険の顕在化:温度上昇・有毒ガス・陥没

1970年代末から、地下からの蒸気やガス、地表の温度上昇といった兆候が目立つようになりました。決定的な事件は1981年2月14日。当時12歳の少年トッド・ドムボスキが自宅裏庭で突然開いた深い陥没穴に落ちかけます。穴からは熱い蒸気と共に放出された一酸化炭素が致死レベルで検出されたことで、火災の危険性が広く認識される契機となりました(ドムボスキは救出され生還)。この事故を受けて安全面の懸念が一気に高まり、移住の議論が前面に出ます。


移住・収用・町の消失(1983年〜1990年代)

連邦の支援と買い取り

1983〜1984年にかけて、米議会は移住・買収のために約4,200万ドルを承認しました。以降、多くの住民が買い取りに応じ、数百棟の建物が撤去され、町の人口は急減しました。州や連邦のプログラムによる取得・撤去作業はその後も続きました。

土地収用とZIPコード廃止

1992年、ペンシルベニア州知事ボブ・ケイシー(Bob Casey)が土地収用権を行使し、町内の残存不動産を収用しました。更に2002年には米国郵便公社がZIPコード(17927)を廃止し、行政的な「町としての機能」も大きく縮小しました。これらの措置は、居住継続を望む少数住民と州との間で長期的な法的論争を生みました。


現在の様子(2020年代)

火災の継続と予測

地下火災は現在も進行中で、被害域は数百エーカーに及びます。一部の評価では、残存する炭層の量からあと数世紀は燃え続ける可能性があるとされています。火源は地中深く広がっており、完全鎮火は現実的に困難と見積もられています。

残る建物とコミュニティ

多くの建物は取り壊されましたが、ウクライナ・カトリック教会「聖母被昇天教会」など一部は残り、数箇所の墓地は管理され続けています。

町の公共建物(元役場や消防署)も一部が残っており、毎年セントラリア・クリーンアップ・デーが開催され、ボランティアが不法投棄されたゴミを収集しています。


観光名所化した廃道

放棄された州道61号線の一部(Route 61)は、路面割れ目や白煙の噴出で閉鎖されて、かつては路面が落書きで覆われ「Graffiti Highway(グラフィティ・ハイウェイ)」として都市探検や写真目的の来訪者を集めていました。

しかし落書きやゴミの問題、迷惑行為を理由に土地所有者が対策を取り、2020年に埋め立てや土塁で立ち入りを阻止する措置が実行され、観光的なアクセスはほぼ遮断されました。

Graffiti Highway - Centralia, Pennsylvania (2019) b.jpg
By File:Graffiti Highway – Centralia, Pennsylvania (2019).jpg: Codyrtderivative work: Georgfotoart – This file was derived from: Graffiti Highway – Centralia, Pennsylvania (2019).jpg, CC BY-SA 4.0, Link


タイムカプセル(小話)

1966年に埋められた町のタイムカプセルは本来2016年に開封予定でしたが、2014年に開封が早められました。水が入り中の紙類の多くは損傷したものの、鉱夫用ヘルメットやランプ、署名のある品などが見つかり、町の歴史的痕跡として注目されました。


陰謀説と大衆文化への影響

鉱物権と陰謀説

一部の元住民や関係者の間では、州が土地を収用したのは「地下に残る高品質の無煙炭(高価値の鉱物資源)を確保するため」だという疑念が根強く、法廷闘争や抗議も続きました。

フィクションへの影響

セントラリアの荒涼とした風景や「地面が燃える」という概念は、ホラー作品やゲーム、映画の舞台イメージとして参照されることが多く、映画『サイレントヒル』の脚本研究などで言及された例もあります。現代の「地獄化した町」というヴィジュアルは、セントラリアの実景が与えた示唆の一つと言えるでしょう。


まとめ

セントラリアは「廃墟ツーリズム」や怪談の文脈で語られることが多い一方で、そこに至るまでには人の判断、産業の遺産、政策の選択という現実的な要素が密に絡んでいます。

1962年のごみ焼却に端を発した火は、放置された鉱業インフラと結びついて半世紀以上燃え続け、かつてのコミュニティは解体されました。住民たちは地下の危険から逃れるために、連邦政府による移住・買い取りプログラムに応じざるを得ず、行政的な機能も縮小し、「町」としての実態はほぼ失われました。

この歴史的な出来事は、地下資源の利権をめぐる陰謀説を生み、また荒廃した町のイメージとしてホラーフィクションなどに影響を与えています。セントラリアを単なる「不気味な観光地」として消費するのではなく、環境、地域政策、そして産業遺産の扱いについて深く考えるための貴重な教訓として捉えることができるでしょう。


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