【あの日の出来事】過去の9月11日から9月20日【そのとき何してた?】

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過去のこの期間、世の中では何が起きていたのでしょうか?20年前・15年前・10年前・5年前の出来事を振り返ってみます。日々のニュースと照らし合わせることで、過去の出来事が現在にどのようにつながっているのかを振り返ります。


2006年(平成18年)9月11日~9月21日の出来事

【国際】タイで軍事クーデターが発生

2006年9月19日、タイで軍事クーデターが発生しました。当時のタクシン・チナワット首相が国連総会に出席するため国外に滞在している中、陸軍を中心とする軍部がバンコクの政府庁舎やテレビ局などを占拠し、政権を掌握しました。

クーデターを主導したのは、陸軍司令官ソンティ・ブーンヤラットグリンを中心とする「民主改革評議会(CDR)」でした。軍は首都バンコクを制圧するとともに、憲法を停止し、上下両院や憲法裁判所などを解散しました。タクシン首相はニューヨークから帰国せず、そのまま事実上の失脚となりました。

背景には、タクシン政権をめぐる政治的対立がありました。タクシン首相は農村部や低所得者層を重視した政策で強い支持を集める一方、野党や都市部の中間層などからは強権的な政治姿勢を批判されていました。さらに、タクシン一族による巨額の株式売却問題などをきっかけに反政府運動が拡大し、政治的な混乱が続いていました。

クーデター後、軍は暫定政府を設置し、翌2007年には新憲法を制定しました。しかし、タクシン派と反タクシン派の対立はその後も続き、タイの政治情勢は長く不安定な状態が続くことになります。

2006年のクーデターは、タイで1991年以来となる軍事クーデターでした。比較的平和的に政権が交代したことから世界的にも注目されましたが、民主的に選出された政府を軍が武力によって排除したことで、タイの民主主義と軍の政治的影響力をめぐる議論を改めて浮き彫りにした出来事でした。

タイ軍事クーデター (2006年) – Wikipedia

【国内】安倍晋三氏、自民党総裁に選出

2006年9月20日、小泉純一郎首相の後継を決める自民党総裁選挙が行われ、当時52歳だった安倍晋三官房長官が新総裁に選出されました。安倍氏は464票中、国会議員票267票、地方票70票の計337票を獲得し、麻生太郎氏と谷垣禎一氏を大きく引き離して勝利しました。

小泉首相は2001年に自民党総裁に就任して以来、郵政民営化などの改革を掲げて政権を運営してきました。2005年の衆議院選挙では郵政民営化を最大の争点として自民党が大勝し、小泉政権は高い支持を維持していました。一方、小泉首相は自民党総裁の任期を延長しない方針を示しており、2006年9月に退任することが決まっていました。

総裁選では安倍氏が早い段階から優位に立ち、「戦後レジームからの脱却」や憲法改正、教育改革などを掲げました。安倍氏は国会議員票、地方票のいずれでも他の候補を上回り、圧勝する結果となりました。

当時52歳だった安倍氏は、戦後最年少で自民党総裁に就任した人物となりました。また、戦後生まれとして初めて首相に就任することも確実となり、世代交代を象徴する総裁選となりました。

その後、9月26日に国会で首班指名を受け、安倍氏は第90代内閣総理大臣に就任します。

安倍晋三 – Wikipedia

2011年(平成23年)9月11日~9月21日の出来事

【国内】鉢呂吉雄経済産業相がスピード辞任、枝野幸男氏が後任に

2011年9月11日、野田佳彦内閣の鉢呂吉雄経済産業相の辞任が正式に決まりました。野田内閣が発足したのは9月2日だったため、わずか9日で閣僚が交代することになりました。

問題となったのは、鉢呂氏が9月8日に東京電力福島第一原発の周辺地域を視察した際の発言や言動でした。帰京後の記者会見で、原発事故によって住民が避難している地域について「死の街」と表現したことが明らかになり、被災者の心情を傷つける発言だとして強い批判を受けました。政府側も発言を「不適切」と認め、藤村修官房長官が福島県民に謝罪しています。

さらに、記者とのやり取りをめぐる別の不適切な言動も問題となり、鉢呂氏は9月10日に辞任する意向を表明しました。翌11日の臨時閣議で辞任が正式に受理され、藤村官房長官が経済産業相臨時代理を務めることになりました。

後任には、菅直人内閣で官房長官を務め、東日本大震災と福島第一原発事故への対応に深く関わっていた枝野幸男氏が起用されました。枝野氏は9月12日に経済産業相に就任し、政府は原発事故への対応を途切れさせないことを重視しました。

東日本大震災から半年という節目を迎えた直後、発足間もない野田政権を襲った閣僚辞任でした。特に福島の復興や原発事故への対応が重要課題となっていた時期だけに、被災地への配慮を欠いた発言が大きな政治問題となった出来事でした。

鉢呂吉雄 – Wikipedia

【国際】「ウォール街を占拠せよ」運動が始まる

2011年9月17日、アメリカ・ニューヨークの金融街で「Occupy Wall Street(ウォール街を占拠せよ)」と呼ばれる抗議運動が始まりました。参加者はウォール街周辺に集まり、金融機関や企業の影響力、拡大する経済格差などに抗議しました。

運動のきっかけとなったのは、カナダの反消費主義雑誌「Adbusters」が同年7月に発表した呼びかけでした。2008年の世界的な金融危機後、金融機関への公的支援が行われる一方で、失業や格差などへの不満が広がっていたことも背景にありました。

当初はウォール街の象徴でもある「チャージング・ブル」周辺などが候補となっていましたが、警察によって封鎖されたため、参加者は近くのズコッティ公園に集まりました。9月17日にはおよそ1,000人がロウアー・マンハッタンに集まり、その後、公園を拠点としてテントを張るなどの抗議活動が続きました。

この運動で特に知られるようになったのが「We are the 99%(私たちは99%だ)」というスローガンです。社会の富が一部の富裕層に集中しているという問題意識を示す言葉として広まり、ソーシャルメディアを通じてアメリカ各地、さらに世界各国へと運動が波及していきました。

ズコッティ公園での占拠は約2か月にわたって続き、11月15日にニューヨーク市警察によって参加者が排除されました。しかし、「1%対99%」という格差をめぐる議論や、ソーシャルメディアを利用した新しい抗議運動の形は、その後の社会運動にも大きな影響を残しました。

ウォール街を占拠せよ – Wikipedia

2016年(平成28年)9月11日~9月21日の出来事

【国内】『こち亀』40年の連載に幕

2016年9月17日、秋本治さんの人気漫画『こちら葛飾区亀有公園前派出所』、通称「こち亀」が、『週刊少年ジャンプ』42号で最終回を迎えました。1976年9月の連載開始から40年間、休載することなく続いた長寿漫画の歴史に幕を下ろしたのです。

主人公は、東京・亀有公園前派出所に勤務する警察官・両津勘吉。型破りで金儲けが大好きな「両さん」が、同僚や周囲の人々を巻き込みながら騒動を起こすギャグ漫画としてスタートしました。長期連載の中では、時代の流行や社会現象、最新のテクノロジーなども積極的に取り入れ、幅広い世代から親しまれる作品となりました。

連載終了と同じ9月17日には、コミックス最終巻となる第200巻も発売されました。200巻という大台に到達したことも大きな話題となり、集英社は「空前絶後の200巻」と紹介しています。(2021年に連載終了後に新たに描かれたエピソードを集めた201巻と202巻が刊行されています。)

最終回は「40周年だよ全員集合の巻」と題され、巻頭カラーで掲載されました。さらに、同じ号には連載第1話の再掲載や、当時の『週刊少年ジャンプ』連載作家たちが描いた両津勘吉など、40年間の歴史を締めくくる特別企画も用意されました。

秋本さんは最終回で、40年間休まず勤務した両津に「有給休暇」を与えて休ませる、という趣旨のメッセージを寄せ連載は終了しました。

こちら葛飾区亀有公園前派出所 – Wikipedia

【国内】大口病院で患者の点滴中毒死が発覚

2016年9月20日、横浜市神奈川区の大口病院で、入院していた88歳の男性患者が死亡しました。男性の容体が急変した際、使用中だった点滴袋に異常が確認されたことから病院が警察に通報。その後の調査で、点滴に消毒液が混入されたことによる中毒死だったことが判明しました。

さらに、2日前の9月18日に同じ病棟で死亡していた別の88歳男性についても、点滴から同じ消毒液の成分が検出されました。警察は何者かが点滴に異物を混入した可能性があるとして、殺人事件として捜査を開始しました。

その後、2016年7月から9月にかけて4階病棟で48人の患者が死亡していたことも明らかになり、事件は大きな社会問題となりました。ただし、これらの死亡者すべてが点滴への毒物混入によって殺害されたと確認されたわけではなく、事件発覚前に自然死として火葬されていたため、最終的に刑事裁判で殺人罪が認定されたのは3人でした。

2018年7月、元看護師の久保木愛弓容疑者が逮捕され、患者3人を殺害した罪などで起訴されました。久保木被告は、患者が自分の勤務時間中に亡くなると、家族への説明や対応をしなければならないことに強い負担を感じていました。そのため、自分が勤務していない時間帯に患者が死亡するようにしたいという身勝手な動機から、点滴に消毒液を混入したとされています。

2021年11月9日、横浜地裁は殺人3件などについて責任能力を認めましたが、検察側が求刑した死刑ではなく無期懲役を言い渡しました。裁判所は動機に酌むべき事情はないとしながらも、被告に自閉スペクトラム症の特性があり、対人関係や問題への対応が苦手だったこと、患者の家族から強く叱責された経験などが動機形成に影響したことを考慮しました。また、犯行後に反省を示し、更生の可能性があることも死刑を回避した理由となりました。

この判決に対し検察側・弁護側の双方が控訴しましたが、2024年6月に東京高裁は一審の判決を支持して控訴を棄却しました。その後、双方が最高裁への上告を断念したことで、2024年7月に被告の無期懲役の判決が確定しました。

病院という本来患者を守るべき場所で、看護師が職務上の立場を利用して患者を殺害した事件は、医療現場の安全管理だけでなく、終末期医療をめぐる問題にも大きな衝撃を与えました。

大口病院連続点滴中毒死事件 – Wikipedia

2021年(令和3年)9月11日~9月21日の出来事

【国内】池袋暴走事故・飯塚幸三被告の実刑判決が確定

2021年9月17日、東京・池袋で2019年に発生した乗用車暴走事故をめぐり、飯塚幸三被告の禁錮5年の実刑判決が確定しました。9月2日に東京地方裁判所が自動車運転処罰法違反(過失致死傷)の罪で禁錮5年を言い渡していましたが、控訴期限の9月16日までに検察側・弁護側の双方が控訴しなかったためです。

事故は2019年4月19日、東京都豊島区東池袋で発生しました。飯塚被告が運転する乗用車が赤信号を無視して交差点などを暴走し、母子が死亡、9人が重軽傷を負いました。

裁判では、飯塚被告がアクセルとブレーキを踏み間違えたことが争点となりました。被告側は車両の異常を主張していましたが、東京地裁は車に異常はなく、アクセルペダルを踏み続けたことが事故の原因だと認定。禁錮5年の実刑判決を言い渡しました。判決後、裁判長は飯塚被告に対し、判決に納得したのであれば過失を認め、遺族や被害者に謝罪するよう説諭しました。

この事故は、高齢ドライバーによる交通事故の危険性や、運転免許の自主返納などをめぐる議論が広がるきっかけの一つにもなりました。また、事故後の飯塚被告の処遇をめぐって「上級国民」という言葉がネット上で広がるなど、事故そのものだけでなく、高齢者の運転と刑事責任をめぐる社会的な議論を呼んだ事件でもありました。

池袋暴走事故 (2019年) – Wikipedia

【国際】中国恒大集団の経営不安で世界的な株安

2021年9月20日、中国の大手不動産会社・中国恒大集団の経営不安をきっかけに、世界の株式市場で株価が大きく下落しました。恒大集団が巨額の負債を抱え、債務不履行(デフォルト)に陥る可能性が意識されたことで、投資家の間に不安が広がったのです。

この日の香港市場では恒大集団の株価が急落し、香港の主要株価指数であるハンセン指数も前週末比3.3%安となりました。こうした中国市場の動揺は欧米にも波及し、米国のニューヨーク市場ではNYダウが前週末比614.41ドル安となり、ナスダック総合指数も2.19%下落しました。MSCI世界株価指数も1.6%下落しています。

当時の市場が警戒していたのは、単なる一企業の経営破綻にとどまらず、恒大集団の問題が中国の不動産業界や金融機関、さらには世界経済へ波及する可能性でした。恒大集団は巨額の債務を抱えており、海外投資家も関連する債券などを保有していたため、デフォルトとなれば金融市場への影響が広がることが懸念されました。

日本では9月20日が敬老の日で東京市場が休場していたため、海外市場の下落を受ける形で9月21日の連休明けに大きく値下がりしました。日経平均株価は前営業日比660.34円安の2万9839.71円となり、約2週間ぶりに3万円を割り込みました。

恒大集団 – Wikipedia

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