ヘディ・ラマー(Hedy Lamarr, 1914–2000)は、1940年代にハリウッドで活躍した映画女優であると同時に、現代の無線通信技術の基礎概念を構築した発明家でもあります。
「世界一美しい女優」「ハリウッド黄金期のスター」として知られていますが、彼女のもう一つの顔である周波数ホッピング通信の発明者は、長らく正当に評価されてきませんでした。
女優が生み出した“見えない発明”
ヘディ・ラマーはオーストリア・ウィーン生まれで、若い頃に軍需産業に深く関わる男性と結婚していました。この結婚生活の中で、彼女は
- 兵器展示会への同席
- 軍人や技術者の会話の盗み聞き
- 無線誘導兵器の弱点に関する知識
といった、当時の一般人では触れられない情報に自然と接していました。後年、彼女自身も「知識は学校ではなく、耳で盗んだ」と語っています。
1. 周波数ホッピング通信の発明
ヘディ・ラマーは第二次世界大戦中、友人で作曲家のジョージ・アンタイルと協力し、通信周波数を高速で切り替える方式(周波数ホッピング)を考案しました。
アンタイルは自動ピアノ(ピアノロール)を用いた複雑なリズム制御を得意としており、
- 送信側と受信側で同時に
- あらかじめ決められたパターンで
- 周波数を切り替える
という発想は、音楽と通信技術の融合から生まれたものでした。
この方式は、
- 敵に傍受されにくい
- 妨害(ジャミング)に極めて強い
という特性を持ち、当時問題となっていた無線誘導魚雷が敵に妨害される欠点を克服する目的で設計されています。
1942年、この技術は米国で特許登録されました。
2. なぜ当時は評価されなかったのか
しかし、アメリカ海軍は1960年代になってからようやくこの技術を導入しました。
彼女の発明が即座に採用されなかった理由は、単なる技術的問題だけではありません。
- 発明者が「ハリウッド女優」であったことによる信用不足
- 軍上層部の保守的な判断
- 機械式同期装置(当時)の実装コストの高さ
など、社会的・制度的要因が重なっていました。
軍から彼女に求められた役割は、発明家ではなく
戦時国債を売るための広告塔
でした。
結果として、特許は実用化されないまま期限切れとなり、ラマー自身は金銭的な報酬も名声も得ることなくこの分野から距離を置くことになります。
1950年代後半にシルバニア・エレクトロニック・システムズ社がこの特許を再発見し、電子制御によるシステムへ発展させ、1962年のキューバ危機の際、米海軍の封鎖艦隊(ソノブイ通信)で初めて実用化されたと言われています。
当時の通信技術とラマーの発想
当時の無線通信
- 固定周波数を使用
- 妨害・盗聴に非常に弱い
- 軍事用途では致命的な欠点
周波数ホッピング通信
- 周波数を連続的に変更
- 第三者が追跡・妨害しにくい
- 現代の暗号通信・無線通信の基本思想
この「通信の周波数は固定である必要はない」という発想自体が、当時としては革新的でした。
現代技術への影響
ヘディ・ラマーの発明思想は、後に次のような技術へと発展していきます。
- Wi‑Fi
- Bluetooth
- GPS
- CDMA(3G携帯電話通信方式)
つまり、私たちが日常的に使っている無線通信の多くが、彼女の発想の延長線上にあると言えます。
晩年の再評価
1960年代以降、電子技術の進歩により周波数ホッピングは現実的な通信方式となり、軍事・民生の両分野で活用され始めました。
1990年代になってようやく、
- 電子フロンティア財団(EFF)からの表彰
- 技術史における再評価
が進み、彼女は「女優」ではなく発明家ヘディ・ラマーとして語られるようになります。
ただし、その時点で彼女はすでに高齢で、公の場にほとんど姿を見せず、電話取材のみで受賞コメントを行うなど、静かな晩年を送っていました。
ヘディ・ラマーは、
- 肩書きによる過小評価
- 分野横断的才能の軽視
- 技術史における女性の不可視化
といった問題を象徴しています。
「女優が発明などするはずがない」という偏見の中で、世界を変える発想を残した人物でした。
まとめ
ヘディ・ラマーは単なるハリウッドスターではなく、現代の無線社会の礎を、誰にも気づかれない形で築いた発明家でした。
スマートフォンやWi‑Fiを使うたび、私たちは知らず知らずのうちに、 彼女の発想の恩恵を受けているのです。


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