誰もが知っている日本全国の自治体の総称「都道府県」。
でも、なんで4種類あるのでしょう?
「全部“県”でいいのでは?」
この記事では、なぜ「県」で統一されていないのか? という素朴な疑問を、歴史や制度の観点から簡単に紹介します。
大前提「都道府県」ってそもそもどういう意味?
「都道府県」とは、日本を47に区分けした地方公共団体(自治体)の総称です。
地方自治法では、市町村が「基礎的な地方公共団体」(第2条第4項)とされているのに対し、都道府県は「市町村を包括する広域の地方公共団体」(第2条第5項)と定義されています。
具体的には以下の4種類に分類されます。
- 都:東京都
- 道:北海道
- 府:大阪府・京都府
- 県:残りの43県
なぜ“県”だけでなく「都」「道」「府」があるのか?
これは歴史的・政治的背景から来ています。
- 明治時代の廃藩置県(1871年)によって、それまでの「藩」が廃止され、全国は「府」と「県」に再編されました。
- 地域ごとの規模や役割の違いから、特別な扱いを受ける自治体が登場しました。
- それが「府」「都」「道」の始まりです。
これらの名称は「特別な行政区画」として、他と区別するために付けられたのです。
大阪府・京都府:なぜ「府」だけが2つあるのか?
明治時代初期、政府は江戸幕府から引き継いだ直轄地を「府」と定めました。
1868年当時、「府」は次の10地域に設置されていました。
- 江戸(東京)
- 大阪
- 京都
- 箱館(現在の北海道函館市)
- 越後(新潟)
- 神奈川
- 長崎
- 甲斐(山梨)
- 度会(三重・現在の伊勢市周辺)
- 奈良
しかし、1871年の廃藩置県までには、「政治の中心地である東京」「商業の中心である大阪」「天皇の御所がある京都」の3府だけを残し、他の7府は「県」に改められました。
こうして、政治・経済・文化の中心地と見なされた東京・大阪・京都のみが「府」の称号を維持。
その後、東京府は1943年に東京都へ移行したため、現在「府」が残っているのは大阪府と京都府の2つだけとなっています。
東京都:なぜ“都”だけが特別なのか?
1943年、東京都制の公布により東京府と東京市(現在の23区相当)が統合されて「東京都」が誕生しました。
この時代は太平洋戦争の真っ最中で、政府は軍事体制の強化と行政の集権化を急いでいました。
当時の「府」は、あくまで地方自治体のひとつであり、中央政府とは別個の存在とされていました。
しかし、東京には以下のような事情がありました。
- 天皇が住んでいる皇居がある
- 国会・中央省庁が集中している
- 首都防衛や空襲対応など軍事・行政機能が集中している
このような事情があり、「地方の一つ」としてではなく、国家中枢として特別な行政単位が必要とされました。戦時体制下でより中央集権的な管理を必要としたため、「都」という名で国家直轄的な意味合いを強める必要がありました。
1910年の東京府地図(忠誠堂刊) 出典:Wikimedia Commons,パブリック・ドメインによる
さらに東京都には他と違う特徴があります。
23区=市ではない(特別区)
東京都の「23区」は、見た目には他の都市の「市」と似た役割を果たしているように思えますが、法律上は「市」ではなく、「特別区」と呼ばれる独自の行政単位です。
これは、「市」としての独立性を持たない代わりに、東京都(都庁)がある程度の権限を持って統括している地域という位置づけになります。
項目 | 通常の市 | 東京都の特別区 |
---|---|---|
法的地位 | 自治体(市町村) | 自治体だが「市」ではない |
上位組織 | 県(または府) | 東京都(都庁) |
消防・水道・都市計画 | 市が運営 | 東京都が主導 または一括して担う |
税金の徴収 | 市が主に担当 | 東京都が一部徴収し配分 |
都知事は「県知事+市長」? 東京だけの特別な行政構造
都知事は、全国で唯一、「県知事」と「市長」の両方の役割を兼ねる立場にあります。
というのも、他の地域では「市長」と「県知事」が明確に分かれており、自治体は基本的に「市」と「県(または府・道)」の二層構造となっています。
しかし、東京都の23区には「市」が存在しません(1943年に東京市が廃止されたためです)。
そのため、23区には「市長」にあたる首長が不在であり、各区には区長がいるものの、広域的な行政サービス(消防、水道、都市計画など)については、東京都知事が一定の役割を担っています。
つまり、東京都は他の自治体とは異なり、都知事が県と市の機能を併せ持つ、特別な行政構造となっているのです。
北海道:なぜ“道”なのか?
明治以前、北海道は「蝦夷地(えぞち)」と呼ばれ、本州とは異なる特別な地域とみなされていました。
その背景には、以下のような要因があります。
- 本州とは大きく異なる広大な地理的スケール
- 開拓の途上にあり、行政制度が未整備だった
- 対ロシアを念頭に置いた防衛上の戦略的重要性
こうした事情から、北海道は他の「府」「県」とは異なる特別な統治区として扱われていたのです。
1886年には「北海道庁」が設置され、ようやく府県に近い行政体制が整います。
しかし、北海道が現在の「都道府県」の一つとして正式に位置づけられたのは、1947年の地方自治法施行以降のことでした。
つまり、北海道もまた、特別な事情により例外的な存在としてスタートした地域なのです。
「北海道」という名前の由来
「北海道」という名称を提案したのは、江戸時代後期の探検家・松浦武四郎(まつうら たけしろう)です。彼は何度も蝦夷地を訪れ、アイヌ文化や地理を詳細に記録した人物であり、「北海道の名付け親」として知られています。
松浦が明治政府に提出した命名案の中から採用されたのが、
北加伊道(ほっかいどう)
という名前でした。
「加伊」は、アイヌ語で「人間・民族」を意味する「カイ」に由来しており、「北のアイヌの土地」という意味が込められていました。
「道」という字は、古代の律令制(五畿七道)に見られる「東海道」や「山陽道」などの地理的・交通的区分に由来しています。松浦は、本州とは異なる地理的・文化的性格を持つこの地域にそうした「道」という概念がふさわしいと考えたのです。
その後、四方を海に囲まれている地理的特徴なども踏まえ、「加伊」は「海」に簡略化され、現在の「北海道」という名称となりました。
統一しないのはなぜ?将来はどうなる?
「すべて“県”に統一すればいいのでは?」と思う方もいるかもしれません。
実際、制度上はすべて「都道府県」として同格の地方自治体であり法的な違いはほとんどありません。
しかし、統一が進まないのには、いくつかの理由があります。
- 地域のプライド
大阪府や京都府は、歴史的に特別な地位を持ってきた自負があり、「府」という呼称を簡単に手放したくないという思いがあります。 - 歴史的経緯とブランド力
東京都は、戦前の「東京府・東京市」から変遷を経て現在の「都」となりました。また、北海道も本州とは異なる開拓の歴史を持つ特別な地域として、「道」という呼称に誇りを持っています。 - 行政構造の違い
東京都には23の特別区が存在し、他の都道府県とは異なる行政制度が採られています。
こうした背景から、「都・道・府・県」をすべて「県」に統一する動きは見られず、今後もその可能性は低いと考えられています。
まとめ:日本の地方制度は“多様性”の象徴かも?
「都道府県」の呼び方が分かれているのは、それぞれの地域が持つ歴史、機能、アイデンティティが反映されているからでした。
もしかしたらこれは、日本の多様な地域性を象徴しているのかもしれません。
旅行やニュースを見るとき違いを知っていると、少し見方が変わってくるかもしれませんね。
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