サンタクロースの真実 ― トルコの聖人がフィンランド住人になった訳

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クリスマスの象徴として、世界中で親しまれているサンタクロース。

赤い服に白いひげ、トナカイのそりで空を飛び、北欧の雪深い土地に住んでいる——そんなイメージは、あまりにも「当たり前」のものとして定着しています。

しかし、そのサンタクロースが実在の人物をモデルにしていること、そしてその出身地をめぐって国家間の対立があることは、意外と知られていません。


サンタクロースのモデル

サンタクロースのモデルは、4世紀に現在のトルコ(ローマ帝国領小アジア)で活動したキリスト教の司教、ミラの聖ニコラオスとされています。

彼は実在の人物であり、慈悲深い慈善活動で知られ、死後は子供や海運の守護聖人として崇められました。この「聖ニコラオス(ギリシャ語:Agios Nikolaos)」が、オランダ語の「シンタクラース(Sinterklaas)」を経て、アメリカで「サンタクロース(Santa Claus)」という名で定着しました。


イメージが出来上がるまでの経緯

サンタクロースというキャラクターが形作られるまでには、3つの重要なポイントがありました。

① 聖ニコラオスから広告キャラクターへ(17〜19世紀)

17世紀から海運・貿易で大帝国を築いた海洋国家オランダでは、聖ニコラオスは海運の守護聖人として崇敬を集めていました。

オランダ人がアメリカに入植した際、聖ニコラウスの祭りの習慣も持ち込みました。
1823年の新聞で発表された詩『聖ニコラウスの訪問』によって、「トナカイのそりに乗る」というイメージが一般化し、19世紀末の風刺漫画や1931年のコカ・コーラ社の広告を通じて、「赤い服に白い髭の太ったおじいさん」という視覚的イメージが世界に標準化されました。

クリスマスのまえのばん - Wikipedia
「赤い衣装のサンタクロース」のルーツ | 日本コカ・コーラ株式会社
「真っ赤な衣装と白い髭」のサンタクロースのルーツは1931年にコカ・コーラ社とアメリカ人画家が描いたサンタクロースにありました。その物語をお読みください。

② 故郷が「フィンランド」になった理由(1927年〜)

1927年にフィンランド国営ラジオ放送の人気司会者マルクス・ラウティオが、自身の子供向け番組で「サンタはラップランドのコルヴァトゥントゥリ(耳の山)に住んでいる」と放送しました。

これが北欧諸国を中心に広まり、1985年にはロヴァニエミ市が「サンタクロースの故郷」を宣言。現在では世界的に「サンタはフィンランド人」という認識が定着しています。

Markus Rautio - Wikipedia

③ トナカイチームの結成(1823年・1939年)

『聖ニコラウスの訪問』では、サンタのそりを引くトナカイは8頭でした。しかし1939年、アメリカの百貨店「モンゴメリー・ウォード」のキャンペーンから生まれた「赤鼻のルドルフ」が加わり、現在では「先頭のルドルフ + 後続の8頭」という9頭編成が標準となっています。

赤鼻のトナカイ - Wikipedia

トルコ側の主張

すっかり北欧のイメージが定着してしまったサンタクロースを、トルコはどのように見ているのでしょうか。

サンタは地中海人である

2000年代、観光客向けにデムレの聖ニコラウス教会の前に、いわゆる「赤い服のサンタ」のプラスチック像が設置されました。しかし、地元の歴史家や文化庁から「これは我々の聖ニコラオスではない。コカ・コーラの広告キャラクターだ」と猛烈な批判が起こりました。結果、その像は撤去され、代わりに「子供たちを連れた、地中海風の伝統的な司教のブロンズ像」が設置されました。

Removal of Santa Claus statue stirs debate in Turkey’s Antalya - Türkiye News
Locals and officials are scratching their heads over the removal of a statue of Santa Claus during construction work at ...

遺骨の返還要求

1087年、イタリアの商人によってミラの教会から聖ニコラオスの遺骨が盗み出され、現在はイタリアのバーリに安置されています。トルコ政府はこれを「略奪」と見なし、ユネスコなどを通じて何度も遺骨の返還を公式に求めています。

BBC News - Turkey seeks return of Santa Claus' bones
A Turkish archaeologist urges his government to demand that Italy return the bones of St Nicholas to their original rest...

「サンタの起源」という外交的・観光的ブランド化

フィンランドが「サンタの故郷」として観光客を集めていることに対し、トルコは「本当の家はここにある」と対抗しています。デムレ(旧ミラ)を「サンタの故郷」として世界遺産登録を目指すなど、国家プロジェクトとして推進しています。


なぜクリスマスにやってくるのか?

かつてのヨーロッパでは、子供たちが贈り物をもらう日は12月6日の「聖ニコラオスの祝日(聖ニコラウス祭)」でした。これが16世紀の宗教改革という政治・宗教的な大転換を経て、12月25日のクリスマスへと「統合・移動」させられ経緯があります。

なぜ「贈り物の日」が動いたのか

中世ヨーロッパにおいて、聖ニコラオスは子供の守護聖人であり、彼の命日である12月6日に靴下を準備してプレゼントを待つのが、当時の「当たり前」の習慣でした。

16世紀の宗教改革により、プロテスタント諸国では「人間である聖人を崇拝すること」が禁じられました。その結果、聖ニコラオスが主役である12月6日の祝祭も廃止の対象となりました。

しかし、贈り物を楽しみにしている子供たちの反発を恐れた教会側(特にマルティン・ルターら)は、贈り物を届ける役を「聖ニコラオス」から「幼いキリスト(クリストキント)」にすり替え、日付もキリスト生誕の前夜である12月24日へと変更しました。

しかし、長年親しまれたニコラオス(サンタ)のイメージは消えませんでした。年月を経て混ざり合い、「クリスマスに贈り物を届けるサンタクロース」という一人のキャラクターへ集約されました。

ただし、この変化は主にプロテスタント圏で起こり、カトリック圏の一部では今でも12月6日に聖ニコラオス祭を祝う習慣が残っています


サンタにまつわるエピソード

靴下の習慣のルーツ

聖ニコラオスが、貧しさから身売りされそうになった三人の娘を救うため、真夜中に金貨を投げ入れたところ、それが暖炉に干してあった靴下に入ったという逸話が、「枕元に靴下を置く」習慣の起源です。

サンタのトナカイは「メス」?

生物学的には、トナカイのオスは12月初旬には角を落としますが、メスは春先まで角を維持します。クリスマス時期に立派な角を持っているサンタのトナカイたちは、学術的な観点からは「メスである」、あるいは「去勢されたオスである」という興味深い説が広く語られています。

サンタクロース村

フィンランドのロヴァニエミには、北極圏の境界線が通る「サンタクロース村」が存在します。ここには世界中から毎年50万通以上の手紙が届き、サンタクロース大使館としての機能を果たしています。


まとめ

サンタクロースの起源をたどると、4世紀の小アジアで人々を救った一人の司教、聖ニコラオスという実在の人物に行き着きます。

そこに、オランダのお祭り、アメリカの文学と商業広告、フィンランドの放送と観光戦略が重なり合い、現在の「北欧に住むサンタクロース像」が形作られました。

一方でトルコは、「サンタの本当の出身地は地中海世界である」と主張し、遺骨返還や観光資源化を通じて、失われた起源の回復を試みています。

私たちが信じてきたサンタの姿は、歴史・文化・商業・国家戦略が折り重なって生まれたものです。

そう考えると、毎年クリスマスにやって来るあの存在も、少し違った見え方をしてくるのではないでしょうか。


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