ウサギを産んだ女? メアリー・トフトと医学界を揺るがした“奇怪な出産”

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18世紀のイングランドで、「ウサギを出産した」と主張した女性がいました。
その女性の名はメアリー・トフト(Mary Toft)

冗談のように思えますが、この出来事は当時の医学界・王室・メディアまでも巻き込む一大スキャンダルに発展しました。
この事件は、人間の思い込みや社会的権威の脆さを象徴する“歴史上の奇談”として、今も語り継がれています。


メアリー・トフトとは何者なのか

メアリー・トフトは1703年ごろ、イングランド南部サリー州ゴダルミングで生まれました。
農村の貧しい家庭で育ち、1720年にジョシュア・トフトという男性と結婚。少なくとも3人の子どもをもうけました。
彼女は文盲で読み書きができず、典型的な労働階級の女性として慎ましく暮らしていたといいます。
そんな普通の女性が、やがて「動物を出産した」と主張する――この突飛な事件の主人公になるとは、誰も予想しなかったでしょう。


“ウサギを出産”の噂が広がる

1726年、メアリーは妊娠していましたが、その年の初めに流産を経験しました。
ところがその数か月後、彼女は再び陣痛のような痛みを訴えます。周囲の女性たちが駆けつけると、彼女の体から「肉片のようなもの」が排出されたといいます。
これが事件の始まりでした。

ほどなくして、彼女は「ウサギの足」や「ウサギの頭」といった部位を次々と出産したと主張。
近所の外科医ジョン・ハワードが現場を確認し、その奇妙な肉片を保存してロンドンの学者たちに報告します。
この噂は瞬く間に広まり、新聞も「女性がウサギを出産!」と報じ、人々の好奇心を煽りました。
当時の社会では、まだ科学的な医学が確立しておらず、「人間の体には不思議なことが起こりうる」と信じる人も少なくなかったのです。


王室医師までも巻き込む騒動

噂が大きくなるにつれ、王室の医師たちも調査に乗り出しました。
とくに注目されたのが、ジョージ1世に仕える外科医ナサニエル・セント・アンドレです。
彼は現場を訪れ、メアリーの“出産”を目撃したとされる人物で、最初は本物だと信じ込みました。
さらに、科学者や政治家までもが興味を示し、事件は一気にロンドン社交界の話題となります。

しかし、すべての医師が信じたわけではありません。
王室から派遣されたドイツ人医師キリアクス・アーラーズは、出産物を解剖したうえで「ウサギの内臓には草や穀物の痕跡があり、人間の体内で成長したとは考えられない」と指摘しました。
徐々に、医学者たちの間にも疑念が広がっていきます。


露わになった“仕込み”の真相

事件の決定的な転機が訪れたのは、1726年の12月。
メアリーの夫が“若いウサギ”を何匹も購入していたことが発覚します。
さらに、彼女の義妹が、運搬人に賄賂を渡してウサギをメアリーの部屋に運び込ませていたと自白しました。

厳しい尋問の末、メアリー自身もついに詐欺を認めます。
流産ののち、家族の助けを借りてウサギの部位を体内に挿入し、それを「出産した」と装っていたというのです。
目的は“注目を浴びるため”とも、“経済的困窮を救うため”とも言われていますが、真相の動機は今なお議論の的です。

この告白によって事件は一気に終息します。
メアリーは「卑劣な詐欺師」として起訴されましたが、最終的に有罪判決は下されず、翌年には釈放されました。


医学界に残した深い傷跡

メアリー・トフト事件は、当時のイギリス医学界に大きな衝撃を与えました。
多くの著名な医師たちがこの奇談を信じ、名誉を失ったのです。
特にセント・アンドレは「王室医師がウサギを産む女性を信じた」として嘲笑され、職と評判を失いました。

また、風刺画家ウィリアム・ホガースは、この事件を題材に医師たちの愚かさを痛烈に風刺。
新聞・パンフレット・風刺画が街中に出回り、人々はこの出来事を半ば娯楽のように語り合いました。
トフト事件は“信じる者が笑われる時代”の象徴ともなり、科学と迷信の境界を問う社会的議論を引き起こしたのです。

『Cunicularii, or The Wise Men of Godliman in Consultation(ウサギのようなもの、すなわち診察中のゴダルミングの賢人たち)』ウサギを出産したと吹聴し世間に騒動を起こしたメアリー・トフトを風刺した作品(1726年)
ウィリアム・ホガース – Alan EH Emery and Marcia LH Emery, Mother and Child Care in Art. Royal Society of Medicine, 2006. Page 25. Google Books., パブリック・ドメイン, リンクによる

メアリー・トフトとそれを信じた医師を風刺した作品(1726年)


なぜ信じられたのか

この荒唐無稽な事件が「本当だ」と信じられた背景には、いくつかの理由があります。

まず、当時の医学はまだ発展途上で、人間の体についての理解は不十分でした。
妊娠や出産にまつわる神秘的な現象は説明しづらく、「母親の思いが胎児に影響する」といった“母体印象説”が一般的に信じられていたのです。
メアリーが「ウサギを見た夢をよく見る」と語ったことで、これを“証拠”とみなす医師もいたほどでした。

さらに、王室の関与が信憑性を高めました。
「国王の医師が調査している」というだけで、多くの人々は“本物かもしれない”と考えてしまったのです。
このような権威への盲信が、事件を拡大させた大きな要因でした。


今日に残る教訓

メアリー・トフト事件は、現代にも通じる重要な教訓を残しています。
それは「専門家の言葉だからといって鵜呑みにしてはいけない」ということ。
どんなに立派な肩書を持つ人でも、思い込みや社会的プレッシャーに左右されることがあるのです。

また、当時のメディアがこの話を面白おかしく報じたように、今の時代にも“センセーショナルな情報”は拡散されやすい構造を持っています。
真実を見抜くには、冷静な観察と疑う勇気が欠かせません。


まとめ

「ウサギを産んだ女」として歴史に名を残したメアリー・トフト。
彼女の行為は確かに詐欺でしたが、その裏には、貧困・注目への渇望・そして社会の無知と権威主義が複雑に絡み合っていました。

この事件は、科学と迷信の境界線をあらわにしただけでなく、現代における“フェイクニュース”や“専門家信仰”を考えるうえでもヒントになります。

「信じ難い話」に「権威」が信ぴょう性を与えてしまった。――それが、メアリー・トフト事件なのです。


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