【1518年の踊り病】踊り続けて死んだ人々──歴史に残る“奇病”の正体とは?

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1518年の夏、現在のフランス・ストラスブールで、信じられない出来事が起きました。

一人の女性が突然踊り始め、数日間止まらずに踊り続けたのです。そして次第に周囲の人々も彼女のように踊りだし、最終的に数百人が巻き込まれていきました。

この現象は「踊り病(Dancing Plague)」として歴史に記録され、踊りすぎて命を落とす人まで出る事態に発展。約2ヶ月にもわたるこの集団パニックの原因は、500年を経た今も明確には解明されていません。


踊り病はこうして始まった

事件の始まりは1518年7月。ストラスブールの路上で、フラウ・トロフェアという女性が突如踊り始めました。目撃者によると、彼女は疲れ果てるまで何日間も休まずに踊り続けたといいます。

踊りは“伝染”していった

その奇行は徐々に周囲に影響を及ぼし、1週間も経たないうちに数十人が同じように踊りだします。そして8月には、その数は最大で400人に。中には疲労や心臓発作、脳卒中で命を落とした人もいたとされます。

「踊らせて治す」という奇妙な対応策

当時の医師たちは、原因を「体内の血が熱を持ったせい」と診断し、踊らせて汗をかかせることで“治療”しようと考えました。市は舞台を設置し、音楽隊やプロのダンサーまで雇いましたが、結果的に状況は悪化。狂乱は2か月近く続きました。


なぜ“踊り病”が起きたのか?──主な仮説

エルゴット中毒説(幻覚キノコ説)

当時のヨーロッパでは、湿気の多い気候によりライ麦に「エルゴット菌」という毒性の強いカビが発生していました。これにはLSDに似た幻覚作用があり、それを摂取したことが原因ではないかという説があります。

しかし、幻覚剤の作用は通常1日程度。2ヶ月以上にわたる異常行動の説明には不十分とする意見も根強くあります。

集団ヒステリー説(心理的要因)

もう一つ有力なのが「集団ヒステリー」説です。1518年のストラスブールは、連続する不作、病気(梅毒など)、社会不安が重なり、精神的なストレスがピークに達していました。

こうした状況で、心理的な不安が身体的な異常として表れる“身体化障害”が広がった可能性があると考えられています。

宗教的・文化的な影響

当時の人々の中には、病気や苦しみを“神の罰”と受け止める宗教的感覚が強く残っていました。中世ヨーロッパでは、踊りを神聖な儀式や治療法の一部とする文化もあり、「踊ること」が無意識に救済の手段と捉えられていた可能性も指摘されています。


歴史的背景と類似事件

この「踊り病」は1518年だけでなく、1374年以降も何度かヨーロッパ各地で記録されています。特にストラスブール周辺で多く発生していたことから、この地域特有の宗教観や社会構造が関係していた可能性もあるとされています。

当時の人々は、こうした集団異常を「悪魔の仕業」「神の罰」と解釈していましたが、現代の研究では、より複雑な社会的・心理的要因の組み合わせで説明されるようになっています。


現代人でも他人事ではない?

現代においても、SNSの情報拡散や社会的ストレスによって、類似の集団的な行動やパニックは起こり得ます。

たとえば、「SNSでの集団炎上」や「過剰な買い占め行動」なども、現代版の“集団ヒステリー”の一形態と見ることもできるでしょう。

この事件は、「人は合理的な存在ではなく、環境や社会に強く影響される生き物である」ということを教えてくれているのかもしれません。だからこそ、冷静な判断力と科学的な思考を持つことが、いかに重要であるかを再認識させられます。


まとめ

1518年の踊り病は、歴史に残る奇病として今も語り継がれています。完全に解明されていないこの現象は、人間の精神と社会の不思議な相互作用を浮き彫りにしており、現代を生きる私たちにも大切な示唆を与えてくれます。

一見“奇妙な事件”に見える出来事も、その背景には社会や心理、文化などさまざまな要因が折り重なっています。そうした複雑さこそが、この事件が今も語り継がれる理由であり、私たちが学ぶべきポイントなのかもしれません。


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