電車の中でふとiPhoneの着信音が鳴り、慌ててポケットを探ったら、実は隣の人のだった——。
そんな経験、ありませんか?
いまでは多くの人がスマホの初期設定音をそのまま使っていますが、かつては誰もが着信音にこだわり、好きな曲やメロディを設定して“音で個性”を表現していました。
その始まりは1990年代後半に流行した「着メロ」。電子音で再現されたメロディを自作したり、有料配信で入手したりと、着信音は自分らしさの象徴でした。
そして2000年代前半、この流れを一変させたのが「着うた」です。アーティスト本人の歌声や演奏をそのまま着信音にできる新しいサービスは、日本のガラケー文化を象徴する一大ブームとなりました。
自作の電子音から一大ビジネスへ
携帯電話の着信音カスタマイズ文化は、1990年代後半に登場した「着メロ」から始まりました。着メロは電子音(MIDIデータ)を使い、ユーザーが好みのメロディを着信音に設定できるサービスで、最初は自分で打ち込む形式、その後は有料配信サイトからダウンロードできるようになり、大きな市場を形成しました。
2002年12月、KDDI(au)が世界で初めて「着うた」サービスを開始。それまでの着メロがあくまで電子的に再現されたメロディだったのに対し、着うたは楽曲の一部を高音質のAAC形式で配信し、そのまま着信音にできる画期的な仕組みでした。
電子的なピコピコ音から、アーティスト本人の歌声や演奏を直接楽しめるようになった進化は、当時の携帯ユーザーを熱狂させ、日本独自のモバイル音楽文化を一気に加速させました。
ガラケー文化との融合
着うたは待ち受け画像やデコメールと並ぶ必須カスタマイズのひとつでした。
電話やメールの相手ごとに異なる曲を設定し、「この曲が鳴ればあの人から」と音だけでわかるのも楽しみの一部でした。
当時の端末は容量が限られており、miniSDカードやmicroSDカードを使いながら「どの曲を残すか」を悩むこともありました。やがて楽曲全体を配信する「着うたフル」も登場し、日本の音楽ダウンロード配信の起爆剤となります。
それまで楽曲の入手はCDの購入が一般的でしたが、1曲200〜300円で欲しい曲のみ即座に入手できる手軽さが受け、大ヒットしました。
当時はまだ音楽聴き放題サービスは存在せず「欲しい曲を1曲ずつ買う」スタイルが当たり前でした。2008年10月、着うたと着うたフルは累計有料ダウンロード数10億を突破。これは世界初の記録で、日本の音楽配信市場での圧倒的な存在感を証明しました。
衰退の理由
最大の要因は、スマートフォンの普及です。
技術的要因
当時の着うたは著作権保護(DRM)で厳しく管理され、非対応のスマホへの移行は不可能でした。さらに、多くがキャリア独自の公式音楽配信サービス(例:au「ミュージックストア」など)専用で、ファイル形式や仕様も異なっていたため、他社や他機種への引き継ぎはできませんでした。(後に一部で引き継ぎサービスが開始された。)
ガラケーからスマホへ乗り換えた瞬間、それまで集めた着うたはすべて使えなくなり、多くのユーザーの熱は一気に冷めます。
市場的要因
iPhoneなど海外製スマホの台頭で日本製スマホはシェアを伸ばすことができませんでした。それはキャリア独自サービスの母数を直撃し、存続が困難となっていきます。
また、定額聴き放題のストリーミングサービスの普及により、「1曲ごとに買う」モデルは時代遅れに。iPodやウォークマンなどのDAP(デジタルオーディオプレーヤー)もスマホに統合され、音楽の聴き方そのものが変わりました。
文化的要因
さらに、LINEやSNSの普及で「電話が鳴る」機会自体が減少し、着信音へのこだわりも薄れていきました。関心はスタンプなどに移っていきます。
こうして、着うた文化は徐々に衰退していきました。最大手だったレコチョクは2016年にガラケー向けサービスを終了、2023年にはスマホ向けアプリでの販売も終了しました。(楽曲の1曲ずつの販売はレコチョクWebサイトで継続しています。)
着うたが残したもの
着うたは日本のコンテンツ文化や音楽配信に確かな足跡を残しました。
ヒット曲のサビ、あるいは一部だけを切り出して楽しむ発想は、SNSやショート動画の音楽の使われ方にも通じているように思われます。
また、着うた時代に確立されたノウハウは、現在のストリーミングやサブスクサービスの礎となりました。
- デジタルコンテンツの権利処理: どのレコード会社からどの楽曲を、どういう形式で配信し、その収益をどう分配するかといった、複雑な権利関係と流通経路を確立しました。これは、ストリーミングサービスで数千万曲を扱う際の基盤となりました。
- マーケティング: 着うたのダウンロードランキングやユーザーの購買データを分析することで、どのような曲が売れるか、どのアーティストが人気かといったマーケティングノウハウを蓄積しました。これは、現在のストリーミングサービスにおける「おすすめ機能」やプレイリストの作成にも繋がっています。
- 携帯キャリアとの協業: ドコモ、au、ソフトバンクといった携帯キャリアの決済システムと連携し、携帯電話料金と一緒にコンテンツ料金を回収するビジネスモデルを確立しました。この経験は、サブスクリプションサービスの課金システムを構築する上で貴重な資産となりました。
- 物理メディアのないコンテンツ購入のハードル下げ:CDやMDなどの媒体を介さず、データのみで音楽を販売・流通させるモデルを一般化しました。当時は「形のない商品」に対するユーザーの抵抗感や、データ消失の不安がありましたが、着うたの普及によってデジタル配信コンテンツの信頼性や購入習慣が広がり、その後の音楽配信や電子書籍市場の拡大に影響を与えました。
まとめ
着うたは、限られた機能しか持たないガラケー時代に、音楽と個性を結びつけた日本独自の文化でした。この頃の楽曲が印象深いのは、数十秒のサビに友達との笑い声や放課後の景色、恋人との思い出が詰まっている、ということもあるのでしょう。
ガラケー全盛期を知る世代にとって、着うたは“音の記憶”として残り続けています。


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