世界のユニークな年末年始 ― 皿投げから墓地での晩餐まで、驚きの伝統行事

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日本の年末年始では除夜の鐘を聞き、初詣をして新年を迎えます。
異なる信仰を「ハシゴ」するという、外国から見れば奇妙な年越しでしょう。

一方、世界に目を向けると、皿を割り、家具を投げ捨て、仮面を被り、時には殴り合う――そんな一見すると理解に苦しむ年越しの風習が数多く存在します。

しかしそれらは、単なる奇習や観光向けのイベントではありません。
「この一年を、確かに終わらせる」「次の一年を、確実に始める」ために積み重ねてきた「文化」があるのです。


破壊と騒音によるリセット

デンマーク|皿を投げ、新年に飛び込む

デンマークの大晦日には、使わなくなった皿を友人宅の玄関に投げつけて割る風習があります。

  • 破片が多い家ほど「友人が多く、幸運に恵まれる」
  • 割られた側は掃除せず、翌朝まで残す
  • 午前0時には椅子の上から一斉にジャンプ
    Hoppe ind i det nye år=新年に飛び込む

破壊と跳躍によって、身体ごと旧年を置き去りにする儀式です。

イタリア(ナポリ)・南アフリカ|家具を窓から投げ捨てる

「古いものを捨て、新しいものを迎える」を極限まで突き詰めた例です。

  • ナポリ:古い家具や家電を窓から投棄
  • ヨハネスブルグ:冷蔵庫を投げ落とすことも

現在は怪我人や器物損壊の問題から厳しく規制しており、以前ほど一般的ではありませんが、“過去の重荷を物理的に捨てる”という思想は今も健在です。

アイルランド|パンと音で悪運を叩き出す

  • クリスマスのパンで壁やドアを叩く
  • 鍋やフライパンを叩き、大音量を出す

音と衝撃で悪い運気を追い払い、新年を新鮮な気持ちで迎えるというユニークな風習です。


未来を「占う」

スペイン|12粒のブドウで1年を先取りする

元旦0時の鐘に合わせて12粒のブドウを食べる風習があります。
1粒を1か月と見立てて、甘ければ吉、酸っぱければ試練があると占います。

今年1年を先に体験するという類感呪術です。

ラテン圏|下着の色で運命を刷り込む

大晦日に履く下着の色が新年を決める、という信仰です。

象徴
愛・情熱
黄色金運・繁栄
浄化・新しい始まり
健康・成長
自律・守護

これは心理学で言う「着衣認知」で、「そうなりたい自分」を無意識に刻み込む行いです。

ドイツ・オーストリア|ブライギーセン

ブライギーセン(Bleigießen)とは、熱で溶かした鉛を冷水の中に落とし、固まった形のシルエットから新年の運勢を占う「鉛占い」のことです。

出来上がった形状を電灯にかざし、壁に映った影の形を見て「これは船だ(旅に出る)」「これはハートだ(恋人ができる)」といった解釈を楽しみます。現在は鉛の代わりに錫(スズ)が使われるのが一般的です。


仮装と踊りで厄を払う

スイス|シルベスタークラウス

仮装した男たちが村を練り歩く大晦日の行事。

新年の幸福を祈念し、家々を回って歌(ヨーデルの一種「ツォイエリ」)を披露し、家主からお礼(酒や金銭)を受け取ります。

ルーマニア|ジョクル・ウルスル

クリスマスから新年にかけて行われる厄払いと再生の儀式です。人々が本物の熊の毛皮を身にまとい、太鼓のリズムに合わせて踊りながら街を練り歩きます。

熊が一度倒れて再び立ち上がるパフォーマンスは、冬の終わりと生命の「死と再生(春の訪れ)」を象徴しています。


身体を動かし、未来を願う

中南米の一部の国|空のスーツケース

来年1年間が旅行や冒険に満ちた年になるようにという願いを込め、空のスーツケースをもって走りまわります。

フィリピン|果物を並べてジャンプ

午前0時に、特に子どもたちが背が高くなることを期待してジャンプします。また12種類の丸い果物を食卓に並べる習慣があります。これは、新年の12か月間の繁栄と幸運を願うための縁起担ぎです。

ペルー|喧嘩祭り

ペルーのタカナクイでは毎年12月25日のクリスマスに素手で殴り合い和解する、喧嘩祭りが行われます。地域社会内の個人的な確執や法的な紛争を、年の終わりに公の場で解決し、新年を新たな気持ちで迎えます。

これらは、「こうなりたい未来」を、身体で先に演じるという思想に基づいています。


死者とともに新年を迎える

チリのタルカという町では、大晦日を墓地で過ごします。

タルカの住民は、亡くなった愛する人々の近くで新年を迎えることが良い年につながると信じており、大晦日の夜にお墓に集まり、一晩を過ごします。

新年は「生者だけのものではない」という思想です。


まとめ

世界の年越し行事は、一見すると奇妙で、時に乱暴にすら見えます。
しかしその根底にあるのは、「時間の区切り」を曖昧なままにしたくないという、人類共通の姿勢です。

これらはすべて、「今年は終わった」「来年が始まった」ことを心身に刻み込むための行いなのでしょう。

だからこそ、世界中で、人々は何かを壊し、演じ、願い、身体を動かしながら、確かに「新年を迎えた」と、自分自身を納得させているのです。


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