なぜ「万引き」「いじめ」と言い換えられるのか ― 言葉が犯罪を軽くしたその先に…

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刑法上は明確に「犯罪」と定義される行為(窃盗・暴行・恐喝など)が、「万引き」「いじめ」「いたずら」といった日常語・学校語に置き換えられることで、行為の違法性・悪質性・責任の重さが社会的・心理的に軽く受け止められてしまう現象。

これは言語フレーミングやラベリングの問題の一例であり、表現の仕方が人々の認識や判断に影響を与えることは、心理学・社会言語学の分野でも繰り返し指摘されています。

この言い換えは単なる表現の問題ではありません。
言葉が認識を変え、認識が対応を歪めるという点で、長年にわたり深刻な問題として指摘されてきました。


なぜ犯罪は「言い換え」られるのか

この問題が繰り返される背景には、主に三つの構造があります。

1. 加害者側の心理的ハードルを下げる効果

「窃盗をする」という自覚には強い抵抗があっても、「万引き」なら出来心・度胸試し・若気の至りとして正当化しやすくなります。

同様に、「暴行」「傷害」という言葉では拒否反応が起きる行為も、「いじめ」「ふざけ合い」と呼ばれた瞬間に、人間関係の延長線上へと矮小化されます。

言葉が変わることで、罪悪感と責任感が同時に薄まるのです。

2. 組織側の管理責任回避

学校や組織にとって、「所属者が犯罪を犯した」という事実は極めて重いものです。

そのため、

  • 「犯罪」ではなく「指導案件」
  • 「警察沙汰」ではなく「校内トラブル」

という枠組みに押し込めるインセンティブが常に働きます。
結果として、言葉の選択が組織防衛の手段になり、問題の本質が曖昧にされます。

3. ガラパゴス化した倫理観

日本の教育現場では長らく、

  • 未成年だから
  • 学校の管理下だから
  • 初犯だから

といった理由で、犯罪行為が「教育的配慮」の名の下に処理されてきました。

しかしこの感覚は国際的には通用せず、海外では即座に犯罪として扱われる行為が、日本では「軽い不祥事」として報じられる──

このような内輪基準での処理が常態化した結果、社会や国境を越えた場面で通用しない倫理観が温存されてきました。

本来の罪状と、矮小化された呼び名

刑法上の罪名矮小化された呼称生じる誤認
窃盗罪万引き「払えば済む」「軽い違反」という誤解
暴行罪・傷害罪いじめ・じゃれ合い危険性・被害の深刻さが不可視化
恐喝罪・強要罪カツアゲ・おごり脅迫性・違法性が曖昧になる
器物損壊罪・文化財保護法違反落書き・記念サイン歴史・文化破壊の重大さを忘却させる
偽計業務妨害罪・威力業務妨害罪いたずら・悪ふざけ巨額の経済的な損害を無視する

ここで重要なのは、行為そのものは一切変わっていないという点です。たとえば「万引き」という言葉は俗称であり、刑法上は窃盗行為として扱われます(刑法第235条)。


大谷高校バリ島事件が示した「限界」

2025年12月、修学旅行中の高校生が海外で起こした窃盗事件は、この「言葉による矮小化」が国際社会では通用しないことをはっきり示しました。

修学旅行先のインドネシア・バリ島では、複数の日本人高校生が土産物店で商品をバッグに入れる窃盗行為をしている防犯カメラ映像がSNSで拡散され、学校が正式に窃盗行為を認めて謝罪しました。

これは国内で使われがちな「万引き」という言葉では説明できない、組織的・計画的な窃盗行為であり、現地では法的な犯罪として処理される可能性のある事例の一例です。

学校は公式サイト上で謝罪文を公表し、生徒指導の見直しが必要であると述べています。

renraku
京都の大谷中学高等学校の公式サイトです。明治8年の京都で創立され、150年めの教育の歴史を誇ります。

この事例は、言葉で現実を誤魔化してきたツケが、海外で一気に露呈した象徴的ケースと言えます。


なぜ、長年問題視されてきたのに是正されないのか

基本的な教育は本来、家庭内で行われるものであり、最終的に倫理観が身につくかどうかには本人の資質も大きく関わります。

しかし一方で、問題行動には社会的な罰と現実的な結果が伴うという認識を軽視してしまう背景には、最初に属する社会である「学校」が、問題を繰り返し矮小化してきた影響も無視できないでしょう。

この問題が是正されない最大の理由は、「矮小化したほうが楽」だからです。

  • 警察介入を避けられる
  • 組織の評判を守れる
  • 当事者の感情的反発を抑えられる

しかしその代償として、

  • 被害者の救済は遅れ
  • 加害者は現実認識を誤り
  • 社会に出た瞬間に通用しない倫理観を身につける

という、長期的な教育的失敗が積み重なってきました。


成人による窃盗も「万引き」と処理される構造

未成年特有の問題ではないことは、成人による窃盗も時に「万引き」と報じられる点に現れています。

これは、社会的に「小規模な窃盗」として矮小化したい意図が働くためです。

報道機関は、特に被害額が少額で生活苦などが原因のケースでは、社会問題としての側面を強調するため、あえて「万引き」という言葉を選びます。

また、司法の場では「万引き」という言葉は使われませんが、被害額が少額で初犯などの条件が揃うと、在宅起訴や起訴猶予など、刑罰が比較的軽くなる傾向があります。

この「比較的軽い」という現実が、「万引き=軽犯罪」という矮小化されたイメージを社会に定着させてしまうのです。

この構造が、未成年者への「教育的配慮」だけでなく、社会全体における「犯罪の重み」の認識を薄める要因となっています。


まとめ

「万引き」や「いじめ」という言葉は、犯罪を説明するための中立的な表現ではなく、犯罪から目を背けるための緩衝材として機能してきました。

大谷高校の事例が示したのは、その緩衝材が国内でしか通用しないという事実です。

もちろん、この犯罪の矮小化問題は日本固有の問題ではないのですが、教育機関が未成年による窃盗を『万引き』で片付けようとする対応は、国際的な対応基準から見ると甘く映るでしょう。

犯罪を犯罪と呼ぶこと。それは厳罰化ではなく、現実を正しく教える最低限の教育です。

そこを正さない限り、同じ問題は何度でも繰り返されるでしょう。


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