過去のこの期間、世の中では何が起きていたのでしょうか?20年前・15年前・10年前・5年前の出来事を振り返ってみます。日々のニュースと照らし合わせて、過去の出来事がどのように現在につながっているのか見えてくるかもしれません。
2005年(平成17年)11月11日~11月20日の出来事
【国際】WSIS(チュニス)でチュニス・アジェンダ採択と国際ICTガバナンスの枠組み化
2005年11月16日から18日にかけて、チュニジアのチュニスで第2フェーズのWorld Summit on the Information Society(WSIS/世界情報社会サミット)が開催され、参加国は「Tunis Commitment(チュニス・コミットメント)」と「Tunis Agenda for the Information Society(チュニス・アジェンダ)」を採択しました。
会議ではデジタルディバイドの解消、情報通信技術(ICT)を通じた包摂的な開発、そしてインターネットガバナンス(DNS・ICANNの扱いを含む)をどう国際的に調整するかが主要な争点となりました。交渉では米国と他の国々(および民間セクター)との間で激しい立場の相違がありましたが、最終的に日常的な運用は現行の機関(ICANNなど)が継続する一方で、政府・企業・市民社会が参加する「Internet Governance Forum(IGF)」を設置することで合意が得られ、以降の国際ICTガバナンスの議論の枠組みが形成されました。チュニス・アジェンダは政策文書として各国のICT政策や国連の関連活動に影響を与え、デジタル包摂やガバナンスの議論を国際的に前進させた節目となりました。
【国内】大阪姉妹殺害事件
2005年11月17日未明、大阪市内で二人の姉妹が殺害される凄惨な事件が発生し、全国的な衝撃を呼びました。捜査により当時既に別件で殺人前歴のあった男が関与を認め、逮捕・起訴されました。
被疑者は過去の前科や更生の問題が注目される人物であり、事件は再犯防止や保護観察・仮釈放のあり方、若年時の処遇とその後の社会復帰の評価といった刑事政策上の課題を改めて社会に突き付けました。
刑事裁判では被告に対して審理が行われ、最終的に有罪とされ厳罰が科されました(その後の上訴審や執行の経緯も含め、被告は最終的に死刑判決が確定し、2009年に執行されました)。この事件は被害者遺族への支援の必要性や地域の安全対策、更生プログラムの見直しを促す契機となり、長期間にわたり社会的議論が続きました。
2010年(平成22年)11月11日~11月20日の出来事
【国際】 G20ソウル・APEC横浜会合
2010年11月11日から12日にかけて韓国・ソウルでG20首脳会合が開かれ、その直後の11月13日から14日には日本・横浜でAPEC首脳関連の行事が行われました。日本の首脳・閣僚は両会合に出席し、短期間にわたって主要国との二国間会談や多国間協議を重ねることになりました。G20では世界経済の回復と金融規制、成長戦略が主要議題となり、APECでは域内の経済連携や成長戦略、地域協力の方針が議論されました。
背景には、2008〜09年の世界金融危機からの回復フェーズにおいて、主要国が協調して「成長と安定」を両立させる必要性があったことがあります。日本は首脳外交の場で貿易・投資の円滑化やアジアでの成長戦略推進を訴え、日米首脳会談などを通じて経済・安全保障面での協力確認が行われました。
その後、これらの首脳会合で合意された枠組みや共同声明は、各国の政策調整や国際機関の協働につながり、短期的には市場安定や対外協力の呼び水になりました。一方で、声明の実行には各国の国内事情や財政制約が絡み、合意項目の具体化・実施は継続的なフォローが必要な課題として残りました。

【国際】アイルランドの財政不安が国際金融市場に波及
2010年11月中旬、欧州債務不安が再燃する中でアイルランドの財政・銀行問題が表面化し、国際金融市場の懸念が高まりました。アイルランドでは2008年以降の住宅バブル崩壊に伴う銀行救済や財政悪化が続き、2010年秋には国債利回りの上昇や市場アクセスの悪化が顕著になりました。これを受けて欧州各国や国際金融機関(欧州委員会、欧州中央銀行、国際通貨基金=いわゆる「トロイカ」)が対応に乗り出し、支援策の検討や協調した市場対策が進められました。
経緯としては、銀行部門の脆弱性を国家が肩代わりしたことによる財政悪化が主要因であり、市場はその財政負担の大きさを懸念して国債に対するプレミアム(利回り上昇)を要求しました。国際機関と欧州当局は資金支援と金融安定化策の枠組みを詰め、アイルランドは11月下旬に支援要請へと至り、欧州とIMFの協調支援(融資パッケージ)の準備が進められました。
その後、アイルランドは欧州・国際機関の支援を受ける形で財政再建と銀行再編を進め、厳しい緊縮と構造改革を実施しました。短期的には深刻な景気悪化や失業の増加を招きましたが、中期的には財政・金融の安定化が進み、アイルランドは数年後に市場の信認を徐々に回復し、製薬業やデジタルサービスを基盤とした多国籍企業の進出により経済は回復基調にあります。

2015年(平成27年)11月11日~11月20日の出来事
【国際】パリ同時多発テロ
2015年11月13日、フランス・パリとその周辺で複数箇所を標的とした同時多発テロが発生し、劇場やレストラン、スタジアムなど民間の集客施設が襲われました。襲撃により約130人が死亡、数百人が負傷する甚大な人的被害が生じ、フランス政府は直ちに非常事態を宣言して国内の警備・治安体制を強化しました。攻撃直後、関係国との情報共有や国際捜査協力が急速に進められ、犯行に関与した勢力については過激派組織が関与を主張しました。
この事件は欧州全体の対テロ政策と国内治安措置に大きな影響を与え、航空・交通の保安強化、情報機関の協力強化、国境管理やテロ資金対策の見直しが相次ぎました。フランス国内では非常事態宣言が延長され、長期にわたる捜査と裁判・処罰が行われることになりました。国際的にはテロ対策の強化だけでなく難民・移動管理、外派兵力の運用や外交方針にも波及し、短期〜中期の安全保障議論を大きく動かしました。

【国内】沖縄基地移設を巡る法的対立が激化、政府が訴訟を提起
2015年11月16日から17日にかけて、沖縄県の米軍普天間飛行場の移設(名護市辺野古沖への代替施設建設)を巡り、国(政府)と沖縄県・地元自治体との対立が法廷闘争の局面に入りました。政府は移設を進める立場から、県側の工事差し止めや許認可の取り消しを巡る措置に対して法的手段を講じ、訴訟を提起しました。これに対して県や地元住民は抗議行動や行政手続きの継続を行い、現地では立ち入りや工事再開を巡る緊張が続きました。
背景には、普天間基地の危険性除去と日米安保体制の維持を求める国の方針と、基地負担の集中や環境・地域住民の反対に基づく沖縄側の強い抵抗という根深い対立がありました。訴訟提起以降は、裁判所での審理や行政手続きが長期化し、政治的な与野党や国会での議論も継続しました。最終的には法廷での判断や行政手続きの経過を経て、その後も移設問題は日本の政治課題として引き続き取り上げられ、移設完了時期は2030年代半ば以降と見込まれています。
| 年 | 主な出来事 | 概要・背景 |
|---|---|---|
| 1995年9月 | 沖縄少女暴行事件 | 米兵による事件が発生し、米軍基地への反発が高まる。これが基地問題再燃の契機となる。 |
| 1996年4月 | 日米特別行動委員会(SACO)最終報告 | 普天間飛行場(宜野湾市)の「5〜7年以内の全面返還」を合意。ただし「代替施設の建設」が条件とされた。 |
| 1997年12月 | 名護市民投票 | 移設先とされた名護市辺野古での建設に対し、「反対」が過半数を占める。名護市長も「受け入れ反対」を表明。 |
| 1999年12月 | 名護市長が受け入れ容認へ転換 | 地域振興策との引き換えに受け入れを表明し、国との協議が再開。 |
| 2002年7月 | 政府、海上ヘリポート案を提示 | サンゴ礁海域への環境影響などが問題視される。計画は一時停滞。 |
| 2004年8月 | 沖縄国際大学ヘリ墜落事故 | 普天間基地所属のヘリが大学構内に墜落。基地の危険性が再認識され、県民感情が再び悪化。 |
| 2006年5月 | 日米再編ロードマップ | 「辺野古沿岸部へのV字滑走路建設」と「在沖縄海兵隊のグアム移転」が合意。移設計画が再構築される。 |
| 2009年9月 | 鳩山由紀夫政権発足 | 「最低でも県外移設」を公約に掲げる。沖縄県民の期待が高まる。 |
| 2010年5月 | 鳩山首相、県外断念を表明 | 米側や政府内調整が難航し、辺野古案に回帰。鳩山政権は退陣。 |
| 2012年12月 | 安倍晋三政権発足 | 辺野古移設を推進方針に復帰。政府と沖縄県の対立が再燃。 |
| 2013年12月 | 仲井真弘多知事、埋め立て承認 | 政府からの要請を受け、埋立申請を承認。以後、県政交代で方針が変化する。 |
| 2014年12月 | 翁長雄志知事誕生 | 「辺野古新基地反対」を掲げて当選。国と県の法廷闘争が始まる。 |
| 2015年10月 | 沖縄県、埋立承認を取り消し | 国が対抗し、代執行訴訟に発展。政府・県の対立が本格化。 |
| 2016年12月 | 最高裁、沖縄県の敗訴確定 | 国の主張が認められ、政府が工事を再開。 |
| 2018年2月 | 名護市長選で移設容認派が当選 | 政府方針に追い風となるが、県民の反発は根強い。 |
| 2018年9月 | 玉城デニー知事誕生 | 翁長氏の遺志を継ぎ、反対姿勢を継続。 |
| 2019年2月 | 県民投票実施 | 「反対」が72%を占める結果に。政府は計画を変更せず。 |
| 2020年12月 | 軟弱地盤問題が発覚 | 辺野古海域の地盤改良に大規模な追加工事が必要と判明。工期延長・費用増大へ。 |
| 2021年12月 | 国交相が県の設計変更不承認を取り消し | 再び法廷闘争に突入。 |
| 2022年12月 | 最高裁、国の主張を支持 | 政府が設計変更を進める方針を維持。 |
| 2023年9月 | 沖縄県、代執行訴訟で敗訴 | 国が県に代わって承認を実施。事実上の移設手続き進行へ。 |
| 2024年1月 | 玉城知事、最高裁判決を受け入れ | 政府は「工期2030年代前半完了」を目指すと発表。 |
| 2025年11月現在 | 工事は継続中 | 地元の反発と環境問題が続き、最終的な移設完了にはなお長期化の見通し。 |

2020年(令和2年)11月11日~11月20日の出来事
【国際】IOC会長トーマス・バッハが来日東京五輪の開催可否と運営方針を協議
2020年11月16日、国際オリンピック委員会(IOC)会長のトーマス・バッハ氏が来日し、菅義偉首相や東京都知事らと面会して、延期された東京五輪・パラリンピックの開催可否や運営方針について協議しました。バッハ氏は訪日中に「大会を安全に開催するためのあらゆる努力をする」と述べ、観客の入場についてもワクチンや検査などの対策を前提に議論すべきだとの姿勢を示しました。
背景には新型コロナウイルスの世界的流行があり、当初予定の2020年開催から1年延期して迎える大会の安全確保が最大の課題になっていました。会談の結果、IOCと日本側は準備継続の方向で合意し、検査体制や選手団の受け入れ基準、観客の扱いを巡る詳細なプロトコル作りがその後に進められました。最終的に大会は2021年夏に開催されましたが、観客動員や入国制限、医療体制などで当初想定とは大きく異なる運営となり、開催後も経費や感染対策の評価を巡る論点が残りました。

【国内】日豪が防衛協力の画期的合意に前進、相互訪問や訓練の円滑化で連携を強化
2020年11月17日、日豪両政府は防衛協力を強化する枠組みで大きく前進し、相互の部隊・装備の訪問や共同訓練を円滑にするための合意に向けた協議が報じられました。
これは日豪両国がインド太平洋地域の安全保障環境に対応し、地域の安定に寄与する目的で行った動きで、南シナ海をめぐる中国の影響力拡大を背景に、安全保障分野での連携を強める一歩となりました。合意内容は2022年に締結された「日豪円滑化協定」の素案であり、これにより両国軍の共同演習や相互拠点利用が容易になる見通しが立ちました。

【国内】カプコンが大規模なサイバー攻撃を受け、個人情報流出などの被害を公表
2020年11月中旬、ゲーム大手のカプコンは社内ネットワークに対する不正アクセスを受け、個人情報の流出が確認されたことを公表しました。攻撃はランサムウェア「Ragnar Locker」によるもので、社内ネットワークを暗号化したうえで身代金の支払いを要求されていました。カプコンは、攻撃発覚後すぐにシステムを停止し調査を開始するとともに、身代金の支払いを拒否しました。
当初は数件の個人情報流出と報告されましたが、調査を進めるうちに同社グループシステムが保有する顧客情報、従業員情報、採用応募者情報、関係先情報など合計約35万件が外部流出した可能性があると明らかになりました。背景には、標的型のランサムウェア攻撃が増加しており、特にゲーム業界などエンタメ企業が標的になりやすい状況がありました。
最終的にカプコンは、警察への被害届提出、関係者への通知、システム復旧・セキュリティ強化を実施しました。攻撃による経済的損失は一部業務停止によるものに留まり、身代金は支払わずに復旧を完了しました。また、この事件を契機に業界全体で情報セキュリティ強化や個人情報保護の重要性が改めて認識されました。



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