ホラー小説「アッシャー家の崩壊」や「黒猫」、推理小説「モルグ街の殺人」、暗号小説「黄金虫」などの傑作を残したアメリカのゴシック文学の巨匠、エドガー・アラン・ポー。
彼の誕生日である1月19日になると、何者かが墓碑にそっと現れ、3本の赤いバラと飲みかけのコニャックのボトルを供えて去っていく——そんな不思議な風習が60年以上も続いていました。
この謎の人物は「Poe Toaster(ポー・トースター=ポーに乾杯する人)」と呼ばれ、多くのファンや地元の人々に親しまれつつも、正体はついに明かされることはありませんでした。
赤いバラと飲みかけのコニャック:毎年現れる謎の紳士
アメリカ・メリーランド州ボルチモアにあるウェストミンスター・ホール墓地には、エドガー・アラン・ポーの現在の墓とは別に、最初の墓の場所を示す慰霊碑があります。
その慰霊碑に、ポーの誕生日に現れては簡単な儀式を行う謎の紳士がいました。
この伝統が始まったのは1949年。ポーの生誕100周年の翌年のことでした。
黒い服に銀の先端の杖を持ち、スカーフやフードで顔を隠した人物が、墓碑の前で静かに儀式のような行為を行っていたと記録されています。
彼はコニャックで静かに乾杯をした後、3本の赤いバラと飲みかけのボトルを供えてその場を後にしました。
この「トースター」の存在が知られるようになると、毎年1月19日には記者や見物人が墓地に集まるようになります。

バラとコニャックの意味は明確にされていませんが、赤いバラはポーとその妻、義母の3人を象徴していると考えられています。コニャックの意味については、はっきりとはわかっていません。
受け継がれた伝統
初期のトースターは、静かに花と酒を供えて去るだけでしたが、ある時期からは墓碑のそばに手紙やメッセージを残すようになります。
1993年には「The torch will be passed.(灯は受け継がれる)」という意味深なメモが残されました。
この言葉は、伝統が他の人物に引き継がれることを暗示していました。
1999年のメッセージには、オリジナルのトースターが1998年に死去し、彼の伝統を「息子」が受け継いだと記されていました。見物人からも、登場した人物が以前より若く見えるという証言がありました。
突然の沈黙
2006年、一部の見物人がトースターがどのように墓地へ入ってくるのかを突き止めようとしましたが、失敗に終わります。この事件を除けば、トースターの行動が妨害された例はなく、その人物を特定しようとする組織的な動きもありませんでした。
2007年には、「自分こそがポー・トースターの創始者だ」と名乗る人物が現れました。しかし、その主張には矛盾があり、エドガー・アラン・ポー協会も疑問を呈したものの、決定的な反証はできませんでした。
そして2009年1月19日を最後に、トースターは完全に姿を消します。
その後は誰も墓地に現れず、地元では「伝統は終わった」と受け止められました。
模倣者たちと“非公式の公式後継者”
その後、何人かの模倣者が似た装いで墓地に現れるようになりましたが、地元の人々や研究者たちは、彼らを本来のポー・トースターとは区別していました。
2015年、メリーランド歴史協会(現・メリーランド歴史文化センター)は、この儀式を観光向けにアレンジし、新たな「トースター」を選ぶコンテストを実施します。
新たなトースターは、2016年1月16日の日中に初代の装いで登場し、バイオリンを演奏しながら儀式を行いました。
コニャックで乾杯し、バラを供えた後、彼はこう言い残して立ち去ります。
「Cineri gloria sera venit(灰に捧げられた栄光は遅すぎる)」
まとめ
赤いバラと飲みかけのコニャックを静かに供え、誰とも言葉を交わすことなく立ち去る——
この謎めいた儀式は、詩人でもあったポーの世界観をそのまま具現化したような、幻想的な美しさに満ちていました。
「灰に捧げられた栄光は遅すぎる」
この言葉のとおり、死後に高まったポーへの敬意や評価は、彼の人生そのものを映し出していると言えるでしょう。
ポー・トースターの伝説もまた、エドガー・アラン・ポーの作品とともに、これからも静かに語り継がれていくに違いありません。
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